心の平和

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。 コロサイ人への手紙3章15節~17節

私たちは相対的な平和、失われてしまう平和ではなく絶対に揺るぐことのない平和を持つ者とされたいのであります。今日の聖書箇所から「本物の平和」を再確認したいと思います。

1.キリストの平和で心を支配する

「本物の平和」それは「キリストの平和」であります。私たちは平和を考えた時に心の内側よりも外側の事を考えがちです。良い条件が揃っていて悪い事が無いと平和、反対に悪い条件ばかりで良い事が無いと平和でない、そのように考えがちです。そして、悪い条件ばかりで良い事が無いと、私たちの平和は揺らぎ、その平和を無くしてしまうのです。けれど「本物の平和」は、外側の条件に左右されるものではなく心の問題で、イエスは、世の与える平安と違い、誰も奪うことのできない平安を私たちに与えて下さっているのです! でもその平安、平和に私たちが支配されてないとするなら、私たちの心から「キリストの平和」が失われてしまっているからです。「キリストの平和」とは、「キリストの血によって、神と和解させ」(エペソ2:13-16)、「十字架の血によって平和をつくり、…和解させてくださった」(コロサイ1:19.20)、この御言葉に保証されています。「もっと神に仕えないと神のとの和解と平和は得られない」と考えているなら、これは自分の側から神と和解しようとしているのであって、御言葉からすると間違っているのであります。間違った事をしているから、私たちは平和を無くしてしまうのです! 「私たちは神と和解したのだ! 平和は造られたのだ!」この思いで心を支配しましょう!

2.御言葉を心の土台に据える

私たちの信仰は、御言葉に始まり御言葉に終わると言っても過言ではありません。御言葉の乳を慕い求めることにより私たちは成長し、その救いがもっと確かになり、私たちの心は平和で支配されていくようになるのであります(1ペテロ2:2)。また、神の御言葉を愛する者には、豊かな平和が与えられるのです(詩篇119:165)。御言葉を人生の土台として築かなければいけません。御言葉の土台の上に立っていれば私たちは何があっても平和なのです(マタイ7:24-27)。御言葉を握りしめて信仰の歩みを成し、キリストの御言葉の内に住む私たちになりましょう!

3.神との交わりをしっかり築く

神と和解して平和が与えられているにもかかわらず、私たちの心に平和が無いのは、神との関係が微妙にずれているからにほかなりません。だからそれを修正しなければなりません。正しい神との交わりを築き、失われている交わりを回復しなければなりません。神との正しい関係を捉え、それを実践していこうとする時、まず神に感謝し、神を賛美することが全てに先立ちます。感謝に溢れるならば、私たちは平和で満たして頂くことができるのです。パウロは 色々な困難な状況にあっても諸教会への手紙の冒頭で、「神に感謝します。神に感謝しなければならない」と必ず記しています。「感謝」があれば、私たちの平和は揺るぐことがありません。今週も神に感謝する私たちでありましょう!

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秋の恵みをいただく秘訣

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。     詩篇103篇1節~5節

生活の状況を一変させたり、人の生死にも関わる大規模自然災害が連発し、今や日本は災害列島となっています。詩篇の作者は「われらは恐れない。たとい地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも…」(詩46)まさに天変地異、大災害が起こっても、天地宇宙を造られ、命を与えて下さった神は、すぐそこにおられ、助けてくれる御方だから恐れないと歌っています。社会が発展し、豊かで快適な生活が当たり前で、毎日を楽しく過ごせば良いのか、人生に対する心構えや信仰の持ち方まで問い直されているように思います。今日一日を当たり前のように過ごせることに感謝し、たとえ今日、地上での生涯を終えることがあっても、悔いなく天国に行けるよう、良い意味での覚悟を持って生きることが大切です。今日は癒やしの礼拝。詩篇103篇の御言葉から、神にあって祝福される生き方の基本を学んでまいりましょう。

1.今、恵みを数える者となろう

神から恵みを頂く秘訣は、2節に「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とあるように、神が与えて下さった祝福を忘れず、心に刻みつけておくことです。私たちは、良いことはすぐに忘れ、むしろ苦難や試練ばかりを覚え、語る傾向があります。しかし、クリスチャンは、主の良くして下さったことを何一つ忘れないという生き方を選び取りましょう。ぜひ、その日あなたが受けた恵みを、日記帳やメモ帳に書き記しましょう。そして、毎日寝る前に祈りの時間を持ち、「神様こんな恵みがありました。感謝します」と、小さな恵みにも感謝することです。神の恵みを頂く秘訣は、恵みを忘れないことです。そうすれば必ず、神の恵みのある日々へと変えられていきます。

2.過去の人生を振り返り神の恵みを数える

ダビデが「主は、あなたのすべての咎を赦し、すべての病をいやし…あなたの一生を良いもので満たされる」(3~5節)と語るように、私たちの人生は、神と出会ったことにより、素晴らしい恵みが現されました。救いがあり、そのきっかけの中で、病が癒され、悩みから解放され、あなたの祈りに、神は答えてくださいました。恵みと憐れみが、そこかしこにあったはずです。救い主、助け主、導き手として、私たちに関わり、良いもので満たして下さいました。これら1つ1つを振り返り、感謝したいと思います。

3.将来にも神の恵みを確信する

5節に「あなたの一生を良いもので満たし、あなたの若さはわしのように新しくなる」とあり、「主を待ち望む者は新しく力を得、わしのように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ40)とあるように、旧約では、鷲(わし)は、力強さや若々しさの象徴として登場します。私たちも、鷲のように新しい力と可能性が与えられ、若々しく、喜びと希望のある人生を、過去、現在、未来、私の全存在に対して、神の恵みの人生を歩むことができます。現代人の持つ万能感は、誤解にすぎません。自分の弱さを認め、実は神の恵みによって生かされているという謙虚な気持ちで生きることが大切です。そうすれば、一瞬一瞬が恵みであると気づきます。主の前に謙(へりくだ)り、神がなしてくださった良い事を何一つ忘れず、この秋の日々、神にあって祝福され、癒され、元気に歩みをなしてまいりましょう。

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心の畑を耕そう

…種蒔く人は、みことばを蒔くのです。みことばが道ばたに蒔かれるとは、…みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。…岩地に蒔かれるとは、…みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。…いばらの中に種を蒔かれるとは、…みことばを聞いてはいるが、…いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」              マルコの福音書4章13節~20節

実りの秋、神から最善の恵みが与えられることを期待しましょう。神は生活の中の小さな一歩のチャレンジから、恵みを拡大してくださる御方です。神を信じることは大きな喜びで素晴らしい可能性があることを忘れないでください。恵み豊かな神の基準に合わせて私たちの信仰の器を思い切り広げるとき、神は恵みを増し加えてくださいます。「5つのパンと2匹の魚」の奇跡では、少年の弁当ぐらいの量で5,000人を超える人々がお腹を満たされるほどでした。
今日の聖書の箇所でイエスは、この前に語られた「種蒔きのたとえ」と呼ばれるたとえ話の解説をされました。実りの善し悪しの違いは、蒔かれた種の品質が問題なのではなく、種が蒔かれた畑の問題だと言われます。種は神の御言葉で、神の御言葉には力、命があり、それを受け止める人の心、魂の状態によって結果に大きな差が出ます。御言葉である種が蒔かれ、畑である人の心の状態が大きな結果の差をもたらすのです。蒔かれた種がたくさんの実を結ぶために3つのことを確認しましょう。

1.心の状態を整えよう

仕事、結婚、子育て、あるいは信仰生活においても、自分の思うようにいかなかったり、自分に不都合なことがあると、他人のせいにするものです。私たちに恵みをもたらす神の御言葉は確かに蒔かれるのですが、蒔かれた畑の状態ですべては決まります。悪魔に種を持っていかれたり、ちょっとした困難がくると躓いたり、社会の波に翻弄され、神の御言葉の力を発揮できず、クリスチャンで教会に来ていながら花も咲かず実も残らないようでは困ります。
聖餐式を前に、自分の心がイエスに受け入れられるようへりくだり、弱さや欠点、わがまま、罪に汚れやすい自分の心を耕しましょう。耕された畑に神の御言葉が蒔かれてこそ、30倍、60倍、100倍の実りがあるのです。

2.良い実を結ぶための努力をしよう

最近の社会は、個人の自由を尊重しつつ、結果までもが「みんなに平等に」出ることを社会が保証すべきだという風潮があります。しかし、聖書が語る人生の歩みは、結果まで平等ではありません。確かに神は、すべての人を平等に愛し、チャンスをくださいますが、良い結果を出すためには、私たちが自ら努力し忍耐し、まごころを注ぐかどうかが問われます。畑に何度も通って汗を流し、水をやり、耕して、良い土地にしなければなりません。

3.神の御言葉を受け入れよう

私たちの人生にどれだけ潤いと実りがあるかは、神の御言葉をどれだけ受け入れられるかによって決まります。世の中は、自分らしく生きることがいいと言います。しかし、自分がそう思うのだからという自己満足ではなく、神の御言葉を大切にしましょう。さもなければ、神との関係から離れて孤独で悪魔の惑わしの中で生きる人生になります。
パウロはⅠテモテ1:15の中で、「イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」という御言葉をそのまま受け入れ、「私がその罪人のかしらです」と告白しました。聖餐式を前に、私たちも御言葉を受け入れ、イエスの十字架の死と罪のきよめ、永遠の命の希望を告白しましょう。

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主キリストのおられる信仰生活

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
                  マルコの福音書16章15~18節

昨日の朝は、月に1度続けている、日本福音宣教会の働きのために祈る朝祷会が500回を迎える節目となる記念の会を持ちました。夕方には納涼大会を催し、兄弟姉妹と恵まれた時を持つことができ、また来月の9月には福音放送「まことの救い」が、放送開始から50年を迎えます。イエスが今も私たちの信仰を受け止めて御手を動かし、救いの御業をなしてくださることを心から感謝します。
このマルコの福音書の最初に、著者マルコがタイトルをつけました 。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」。イエス・キリストによって人々が救われ、本当に幸せになる福音が届けられる時代が始まったということです。そして、今日の箇所では、イエスの地上での最後の御言葉が記され、その言葉の通りに、弟子たちが至る所でイエスの福音を語り始めると、人々は救われて、聖霊の働きによる神の力が現れるようになったと締めくくったのです。イエス・キリストに
従い、弟子になると本当に素晴らしい恵みが起こることを3つのことで確認したいと思います。

1.主のしもべとして生かされている事実

自分の願いや求めばかりを伝えて、神を道具のように使うわがままな考え方は、クリスチャンの考え方ではありません。しもべとしてイエスを信じて従っていく者であることを思い起こしましょう。イエスを信じるとこんな素晴らしいことが起きますよ、と適切に人々に伝える証し人になりたいと思います。思いっきりイエスのことをのべ伝えて証しし、それを通して人々がイエスを体験すると、それ以上の恵みがあるから感謝です。このしもべ、証し人としての生き方が与えられていることを感謝しましょう。

2.救いを体験し魂が救われている事実

イエスは単なる立派な人、キリスト教の教祖ではありません。神の御子であり、私たちの救い主です。そして誰でもこのイエスの御名を呼び求めれば、その人の罪が取り除かれ、神の子どもとされ、この地上での人生を終えて肉体は死んでも、永遠の命、天国に行くところまで変えられ救われます。イエスの愛を知りながら心を遠ざけ、自分の力だけで頑張っていると誤解している人は、罪に定められて悪魔の奴隷のままですから気をつけましょう。イエスが共におられることによって救われ、心の内側から清められた新しい自分になることができます。この新しい神の力によって生かされる命は、永遠の命につながることを感謝しましょう。

3.信じる者に約束されている聖霊の力

私たちは生身の人間のままでも、イエスを信じることで、驚くことが起こります。イエスの内に働いていた神の聖霊が、そのまま私たちの人生に働き、神でしか起こすことのできないような御業が起こるようになるのです。キリストの聖霊が、今は私たちの内側に住まわれ、イエスを信じる者には特別な恵み祝福が現されます。だから私たちは癒しのために祈ります。私たちに超能力があるわけではありませんが、イエスの御約束の通りに、今も神の霊が私たちの内に働いておられるからです。自分の能力、熱心さだけで祈っても何も起こりません。神に愛されて救われた者、聖霊をいただいた者として、祈りの実現を信じて求めていきましょう。

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苦しみに会う幸せ

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。…自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。…主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。
             詩篇119篇71節、哀歌3章25節~33節

今日の聖書箇所から「苦しみに会う幸せ」の恵みをしっかり頂きたいと思います。幸せと苦しみは全く反対の事だと私たちは考えてしまいます。「苦しみには会いたくない、幸せな人生を送りたい」と誰しもが考えます。しかし神は、私たちに「苦しみ」を通して本当に「幸せ」を教えてくださり、「幸せ」を豊かに備えて導いてくださるのだということをもう一度しっかり知りたいのであります。

1.神の「幸せ」への導き方

聖書には、「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出し、その希望は失望に終わることがない」と記されています。私たちは悩み、苦しみ、患難を避けて生きるのではなく、実は、苦しみや悩み問題を通して神の恵みを豊かに体験することができる、いや悩みや苦しみを通して私たちは整えられ、磨かれ、祝福へと導かれていくのです! このことをしっかり知る者でありたいと願うのであります。

2.神の約束は必ず実現する

イスラエルの民は神の恵みと導きの中を歩んできましたが、不信仰になり、神に裁かれ、苦しい所を何度も通らされます。しかし神は苦しみを通して、彼らの信仰を整え、約束の地へと導き続けていくのであります。バビロン捕囚においても苦しみに会うのですが、神は彼らにバビロンの国のために祝福を祈るように教えます。そしてその事が実は神の祝福をもたらすものとなることを教えられたのです。「人を呪う者は呪われ、人を祝福する者は祝福される」ことを神は教えておられるのです。この御言葉に従った結果、神のご計画により国が再建されたのです!
聖書には、苦しみを通して祝福された人々がたくさん登場します。例えばアブラハムに対する神の祝福の約束はなかなか実現しませんでした。彼は不安を抱えながら生きていきますが、この苦しみの中から彼らに希望を与え、神の約束の実現へと運んでいくのです。この苦しみの中に実は神の約束は必ず実現するという神の掟を彼らは体験しました。またヨセフは兄たちによって奴隷としてエジプトに売られた上、濡れ衣で牢に入れられてしまいますが、王の夢を解いた結果、エジプトを飢饉から救うことができました。更にエジプトに食料を求めにきた兄たちと再会します。この時ヨセフは、苦しみの裏に、人の考えを超える神の祝福の計画が進んでいたこと、神によってエジプトに遣わされたのだということをはっきりと知るのであります。

3.苦しみを通して幸せに会う

あなたの人生、今までどのような苦しみを通って来られたでしょうか? 沢山の苦しみや悩みに会う時、「嫌だな、早く過ぎ去ればよいのに」と思うかもしれません。しかしその苦しみを通して、神が豊かな恵みをあなたに備えておられるということを信じなければなりません。今まで、様々な苦しみを通して神の恵みを体験してきたように、今、あなたが体験している苦しみを通しても、神は確かに恵みを注いでくださることを計画しておられるのであります。ゆえにこの詩篇が語るように、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」と、今週もはっきり証しし、告白してまいりましょう!

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人の命と神の恵み

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。   ヘブル人への手紙9章27節~28節

今日は合同記念会礼拝です。皆さんとのこの時間を、本当に有り難く、感謝して受け止めています。この礼拝を準備するに当たり、私の父と家内の父のことを思い出し、祈りました。私の父は、牧師であり、私の父親としての人生を生き、私に信仰を与え、牧師としての模範を残してくれました。家内の父は、軍人として国に仕え、この世の地獄を見、最後まで自分の理性と闘い、頑固でしたが、亡くなる半年前、文女姉の、イエス様を信じて、洗礼を受けようという言葉を受け入れ、穏やかな魂を与えられ、天国へと旅立ったのです。人生の現実と、それを超える神の救いがあることを素直に認め、受け入れた時に、魂が変わったのです。御一緒に、すでに召されたお一人お一人の魂を偲び、その頂いた恵みを感謝し、命の真理を頂きたいと思います。今日開きました箇所には、2つの大きな真実が語られています。

1.人間の命に関する真実

人は生まれて命を受けた以上、必ず死ななければなりません。そして同時に、死後、神の前に立ち、裁きを受けることが定まっていると聖書は語ります。人の命は、単に心臓が動き、呼吸をする医学的命だけではなく、魂、霊の領域があって、死後、神の御前で、どのような人生を生きてきたか、裁かれなければならない、人間の命に関する真実があります。時々、神様って証明できますか、と言う人がいます。科学が証明せずとも、人間は幽霊だとか霊だとか、死後だとか考えますね。これは、人間の命の中に、神様と向き合う霊的な要素が、生まれた時から、ちゃんとあって、目に見えない神と向き合わなければならない世界があることを示唆しています。

2.救い主イエス・キリスト

聖書は、罪の汚れは自分の努力や頑張りでは清められない、救われない、全ての人に救いが必要だと語ります。血を流すことがなければ、罪の赦しはないと語ります。そのため、命を与えて下さった神は、救い主イエス・キリストを送り、キリストは1度、私たちの罪のため、ご自分の命をささげ、十字架で死んで下さいました。2度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られる、と28節にあるように、イエスが再び来たりたもう、再臨の時、私たちを甦らせ、永遠の生命を与え、天の神の下で永久に、永遠の喜びをもって生きることができるようにして下さると約束しています。
人として、精一杯、真剣に生きる糸と、救い主イエス・キリストをお迎えし、神と向き合う信仰の糸、2つの糸が重なると、自分の努力や知恵だけでは与えられなかった祝福が与えられます。喜怒哀楽、様々の事が起こる私たちの人生、1つ1つが神によって救われ、贖われ、素晴らしい人生となります。そして、いつか必ず訪れる、神の裁きの前に立つ時、キリストの愛と救いによって、天国へと導き入れられ、永遠の生命を頂くことができます。すでに天に召されたお一人お一人も、ちょうど十字架が象徴しているように、人としての命に、神の恵みが重なった人生を歩まれました。さあ、皆さんも、その信仰にならって、人として一生懸命生きる生き方と、神の恵み、神の愛の物語を重ねて生きる人生を見つけてまいりましょう。そうすれば、死に対する恐れはなくなり、平安と永遠の生命の希望が与えられます。

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主キリストによる永遠の命の恵み

イエスは答えて言われた。「…あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。…
…「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。…その人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
          ヨハネの福音書6章26節~27節、35節~40節

暑い夏ですが、神は暑さ以上に力強く、私たちに元気や喜び、尽きることのない祝福を与えてくださいます。今年も教会の夏の行事で大いに恵まれましょう。クリスチャンはイエスを信じることによって、生き方そのものがすべて変えられます。クリスチャンと出会った人は必ず恵まれます。ですから、お互い出会ったときは神のすばらしさを証しし喜び合えるように準備しておきましょう。
この6章の始めには、「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の話があります。そのあと集まっている群衆に向かって、あなたたちは、わたしを救い主と信じて、永遠のいのちを求めて集まったのではなく、ただお腹を満たしたかっただけだとイエスは皮肉を込めておっしゃいました。ヨハネの福音書の中でイエスは、「永遠に続くもの」をテーマに繰り返し語られています。この一週間で、これだけはいつまでも輝き残ると思うものがどのくらいあったでしょうか。今日は、ヨハネの福音書を通してイエスが語られた「永遠のいのち」について3つのことを確認しましょう。

1.最大で最上の祝福

クリスチャンと世の中では、幸せの質が違います。この世にはいろいろな幸せがあります。お金がどっさり儲かる、海外旅行に出かける、美味しいものをご馳走してもらう。どれもその時は楽しく幸せを感じるものでしょうが、賞味期限があったり期間限定であったり、いつか終わりが来ます。しかし、クリスチャンである私たちに与えられている幸せは、それとは比べものになりません。肉体のいのちがこの世で終わり、すべての人が神の前に立ち、裁きを受けます。その時、イエスによって罪がきよめられ、神の愛といのちを受けた者だけが天国に入り永遠のいのちをいただくのです。この世の幸せとは全く質の違う、永遠に続く最大で最上の幸せが与えられていることを喜びましょう。

2.イエスが源

イエスがいのちのパンなのですから、私たちに約束されている永遠のいのちの原因、源は、イエスであるということです。私たちの努力や知識、また良いことをしたからではなく、イエスご自身がクリスチャンの幸せ、救いの原因、種、源
です。今日の聖餐式で、イエスが私たちの罪の贖いとなってくださったことを喜び感謝しましょう。パンはイエスのからだであり、ぶどう酒はイエスの血潮です。儀式ではなく信仰によってイエスのいのちをいただく者になり、幸せの原因であるイエスが共にいることを感謝しましょう。

3.永遠のいのちが与えられている

人の心は変わりやすく、現世的な目に見える喜びや幸せ、豊かさを求める傾向にあります。しかし、変わりやすい世の中にいるからこそ、クリスチャンは、イエスを信じて、いつまでも変わらない永遠のいのちをいただいていることを感謝しましょう。これが人間にとっての最大の恵みであると心から喜んで歩みたいのです。クリスチャンには、この永遠のいのちがあることが分かります。ですから、すでに天に召された方々を懐かしむと共に、天の御国で再会できる喜びや希望があるのです。
この8月もイエスと共に、イエスが与えてくださる永遠のいのちによって歩ませていただきましょう。

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主により頼む信仰

…そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。…そこで主はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」そこで彼らは民の糧食と角笛を手に取った。こうして、ギデオンは…三百人の者だけを引き止めた。                       士師記7章1章~8節

今日は旧約聖書のギデオンの物語から信仰の力を働かせる秘訣を学びましょう。このころイスラエルには、リーダーが定まらず、武器もなく、非常に弱い存在でした。刈り入れ時にはいつもミデヤン人の軍勢が来て収穫物を奪い、痛めつけられました。そのためギデオンは、隠れて小麦を打っていました。そのギデオンに、ある日主の使いが現れて、大勇士よ、と呼びかけますが、自信のない彼は、主が共におられるのなら、なぜこのような情けない状況にあるのかと嘆くばかりで、不信仰に陥りました。そんなギデオンに対して主は、あなたと共にいる、行って戦えと繰り返し語られ、いざ戦おうとした時に、世の中の理屈とは全然違うことが起こりました。

1.数や量にではなく、主により頼む

戦いでは、兵士の数や武器は多いほど有利になるものです。しかし神は、自分たちの力で勝利したと錯覚し高ぶらないためにと、腰の引けている者を帰すようにと言われました。そこで、32,000人いた兵士が、1万人になります。3分の2以上の兵士が帰ってしまい、ギデオンは心細くなったでしょう。しかし、「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です(ヘブル10:39)」。恐れおののき、退くとき、悪の力を呼び込んでしまいます。数や量ばかりを当てにするのではなく、共におられる主に信頼しましょう。勝利は主なる神によって与えられるのです。この事実に勝る大切なことはありません。

2.数や量ではなく、質を主は選ばれる

残った1万人から、主はさらに兵士を減らされました。谷川で腰をかがめて手で水をすくって飲んだ兵士だけを残され、その数わずか300人。隙を見せることなく、戦う心備えの整っている兵士を主は選ばれたのです。神は、兵士たちの質を求められたのです。後になって彼らは、ギデオンが命じる通りに、冷静に戦い、勝利を収めますが、戦いの中で、一人でも身勝手に動く者がいたらどうなっていたでしょう。神が求められるのは、どんなときにも主に聞き従うという姿勢です。ダビデは、サウル王の兵にいつ殺されるかわからない時に、「私の口にはいつも主への賛美がある(詩34:1)」と歌いました。どんなときにも、せっかく積み上げた信仰を否定したり、神に文句を言ったり、恵みを無駄にするようなパニックに陥らないように気を付けましょう。私たちの信仰の質が神に向かって整えられるようにしましょう。

3.神が共に戦ってくださる

日々の生活での痛み、心配の中に主は働いてくださることを信じましょう。ギデオンが鬨(とき)の声を上げ、兵士が「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫ぶと敵はパニックに陥り、その瞬間に勝敗が決まったと聖書は語っています。敵の大群に、わずか300人の兵で神が勝たせてくださいました。体力、精神力、お金やコネなど、いろんな力が人生の中で働きますが、神の力を忘れてはなりません。人生には、悩みもあります。しかし、あなたが神によって選ばれてクリスチャンにされた以上、神があなたを見捨てることはありません。だから、小さく見える信仰でも、信仰の質を研ぎ澄まし、問題や敵に、「主よ、あなたの力で戦います」と祈るならば、あなたも必ず神の助けと大勝利を体験できます。主の勝利を告白しましょう。

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いやしの御業を自ら求めよう

求めなさい。…捜しなさい。…たたきなさい。…だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがりましょう。
                   マタイの福音書7章7節~11節

先日、四国中の教会の先生方と共に、災害に備えて協力できるように四国キリスト災害支援会を立ち上げました。3年後には、グラハム伝道協会の四国全体の大集会を開催しようとしていますが、その準備の中で、災害でも協力できるようにしたいと願っています。この暑さの中でいつも元気でありましょう。創造主なるまことの神は、私たちを癒す、いのちの与え主なる神です。
今日開いたのは、イエスが、今いるその場所で働かせる信仰があると教える有名な箇所です。日本人は、信仰の姿勢を学ぶ前に、聖書の学びや悟りを求める方向ばかりを求め、自分で行動することを忘れがちです。イエスが語られる、求めることの大切さの三重の意味を受け止めていきたいと思います。

1.自ら癒しを求める行動を起こそう

病気になると、行動するのも大変になります。しかし、その時に、誰かから助けられることではなく、自ら癒されるための信仰の行動を起こして求めることです。信仰は行動を含みます。誰かからの助けを求めるのではなく、自分が癒しを求めて立ち上がり、行動することができるようになりましょう。
聖書に出てくる人々が、立ち上がり、床を取って歩けとイエスから命じられ、行動しようとする瞬間に癒されたように、私たちも行動する者でありたいのです。癒しが必要なあなたが、消極的にならないよう、積極的な行動で癒しを求める者となりましょう。

2.たたき続けていく信仰者になろう

求めること、探すこと、たたくことにおいても、単なる行動ではなくて、いつも求める者、探す者、たたき続ける者でありなさいと言われています。私たちはそういう信仰者になりたいのです。自分自身が神から期待されているような、前向きで、病の中にあっても、癒されると信じる信仰者となりましょう。今は弱くて落ち込んでいて疲れ果てていても、元気になる自分の姿を描いて、あなた自身が求める者であり、探す者であり、たたき続ける者となりますように。人には自分で祈ればいいと簡単に言えますが、自分のことになると途端に弱気になる人がたくさんいます。自分自身を、神を求める者とならせてくださいと祈りましょう。状況はどうであれ、主が探し続けなさいと言われているのですから、探し続け、閉ざされていると思われる扉をたたき続けて、諦めることのない者にならせてください、私をイエスの御心にかなう信仰者にならせてくださいと祈りましょう。

3.絶対に祝福を与えてくださる良い神

神が、求める私に良いものをくださらないわけがない、絶対に祝福を与えてくださる方であることを感謝したいと思います。天の父なる神は、良い神です。悪い者であっても自分の子には良い物を与えるならば、父なる神はなおさらです。恵みを求める私たちに良い物をくださらないことは、絶対にありません。神が私たちに良いものをくださろうとしているのですから、自分の信仰を働かせようではありませんか。今までどうでしたか? 愚痴や悪口や諦めばかりを口にし、否定的な行動があなたを支配していませんでしたか。神は、必ず祝福を持って私たちに答えてくださいます。その恵みの神を信じて、私を癒してくださいと信仰を働かせて求めてまいりましょう。

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信仰によって義と認められた私たち

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。…「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。              テモテへの手紙第一1章13節~16節

先週は豪雨でしたが、大洲キリスト教会は無傷でした。兄弟姉妹の関連の家や断水の被害のある場所もありますが、皆守られていました。一方、全く気にしていなかった教会のみかん山の倉庫の一部が道路に崩れ落ちて、今後どのようにするか考えていますが、皆さんのお祈りに心から感謝しています。
こういう災害が起こると、人間は本当に小さな存在だと痛感し、当然と思っていることが、全て神に守られていると実感します。人生は、良いことばかりでなく、試練もありますが、「時が良くても悪くても」常にイエスを信じ信仰を告白して前進しましょう。私たちは、イエスに出会う前の罪や悪の力、世の中の法則だけで生きていた古い生き方から救われ変えられ、神からの目的や意義を持って証しの立つ生活を与えられていることを、もう一度受けとめ直したいと思います。
今日の聖書箇所はパウロが弟子のテモテに送った信仰の導きの手紙であります。パウロの指導の基本を、彼自身がクリスチャンとして受けた恵みを、喜びを持ってテモテに対して証ししています。3つのことを今日の聖書箇所から見いだしたいと思います。

1.弱く足りない情けない罪人の自分

パウロは、主キリストの教会を迫害し、自分は正しいと信じながら、いつのまにか悪魔にもて遊ばれ神に背き、ステパノの殉教に荷担する、とんでもない罪人として生きていたことを認めています。

2.救い主イエスにより変えられた自分

ダマスコへの旅の途中で、彼はイエスと出会います。これにより、「救い主が私の罪を身に背負い十字架にかかって死んでくださった! キリストは罪人を救うために本当にこの世に来てくださったのだ!あの十字架にかかられたイエスは救い主キリストなのだ!」とパウロ自身が信じて救われたのでした。私たちが毎週喜んで教会に通い、クリスチャンとして神を喜び、永遠の命、天国に向かって歩ませて頂けるのも、私たちの努力や心の清さ、決意の固さによるのではなく、全てイエスが、あなたの罪を背負い、十字架で死んでくださったからに他なりません。このことをはっきりと告白しましょう。

3.主の証し人とて歩む自分

キリストと出会い信仰告白をしたパウロは、神によって大きく変えられました。キリストを迫害した中心人物であった彼が、なんと全世界を伝道して歩く初代教会を代表する伝道者とされ、新約聖書の多くの部分が彼によって書かれるようになりました。どうしてこのようなことが彼の身に起きたのでしょうか? 今後、彼の後に続く人々が、どんな罪人であっても救い主イエスと出会うとこんなにも変えられ、そして、神を信じると神からの計画、ビジョンにより、これほどまで用いられるようになる、という模範となるようにパウロは作り変えられたというのです。
これを聖書の中のパウロだけの物語に終わらせてはなりません。私たちの人生は、キリストを証しし、誰かの模範や見本になれるように、どんなに弱さや足りなさがある者でも用いられることを感謝しましょう。パウロが語っている彼の体験は、あなた自身も体験できることなのです! この神からの大きな恵みをしっかりと受けとめて今週も前進してまいりましょう。

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