信仰によって受け止めるいやし

…十二年の間長血をわずらっている女がいた。…彼女は、…イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。…そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。…
                  マルコの福音書5章25節~34節

今日お読みした、長血の女の癒しの物語は有名で、聖歌617番「イエスは通りたもう」は、これをモチーフとして生み出されました。今日は、この歌詞を味わいながら、5つのポイントを分かち合いましょう。

1.主キリストとの出会いの価値を知ろう

1番に「イエスは通りたもう、人垣をくぐり、御衣の裾に触りまつらん」とあります。彼女は12年間も長血を患っていましたが、だれも直せないばかりか、多くの医者にひどい目に会わされ、財産をなくし、病状も悪くなるばかりでした。現代に生きる私たちは、いつでも聖書を読める恵まれたチャンスに置かれていますが、2千年前の彼女にとっては、イエスと出会うのは千載一遇のチャンスでした。彼女はイエスに出会えばきっと直ると信仰を持って、人混みの中へ中へと進んでいったのです。私たちもこの礼拝の中で、イエスとの出会いを逃がさないようにしましょう。

2.主の御業、御言葉の力強さを覚えよう

2番にはこうあります。「ただの一言をのたもうと共に、わが罪と病、ただちに癒えん」。主が一言でも語れば、私の抱えていた罪、咎、汚れ、病、煩いの一切がたちまち消えていくでしょうと詞っています。主の臨在に触れると、人生を変える救いの業、癒しの業が明確に現されます。信仰は、自分の理屈ではなく、主の御言葉に信頼することです。御言葉には権威があり、御業には力がありますから、主の約束に信頼する者は、失望させられることはありません。今一度、この信仰に立とうではありませんか。

3.主への真剣な信仰を持って近づこう

3番には「触る人々はいかに多くとも、我は信仰もて触りまつらん」とあります。彼女はイエスの着物の
裾にでも触れば、きっと直ると、信仰を持ってイエスに手を伸ばしました。彼女の手が触れた瞬間、イエスの癒しの力が反応して、彼女を癒したのです。イエスが求めているのは、あなたの信仰です。「私は信仰の目をあなたに向けます。どうか私に触れて下さい」と信仰を持って、イエスに近づきましょう。

4.主は、確実に答えて下さることを知ろう

4番には「触りまつるとき、主は我を見つめ、声をかけたまわん、いと優しく」とあります。指先がかろうじて触れた彼女に、イエスはだれが私の着物に触ったのかと言われます。もちろん、イエスはだれが信仰を持って触ったかを御存知でした。しかし、なおも問い続けます。それは良きものを100%彼女に与えるためでした。震えながら進み出る彼女に、「あなたの信仰が、あなたを直した」と語ります。主は私たちの祈りと信仰にも確実に答えて下さいます。

5.主キリストの御業を今日も体験しよう

5番に「イエスは癒しうる力を持ちたもう、イエスは救いうるまことの神」とあります。主は聖書の時代だけではなく、今もここに働いておられます。マレーシアのムーイ先生から、2万人以上が集った癒しの集会で、車イスから20人もの人が立ち上がる奇跡が起こったと喜びの電話がありました。東京の集会に来ておられる方から、イエスが癒し主と聞いた瞬間、うつ病から解放されたと、感謝の手紙を頂きました。今も生きて働かれる主を信じて癒されましょう。

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真の礼拝によって変えられよう

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
                  ローマ人への手紙12章1節~2節

あっという間に2017年の後半に入りました。そして、その最初の日曜日に共に礼拝を守れる恵みを感謝します。今一度、私たちの生活を整えて、限りない愛と恵みを持つ神様の力を頂いて、夏に向けて前進しましょう。
人はしっかりしているようでも、実はあてにならないものです。つい最近、最大の肉食恐竜、ティラノサウルスの研究発表に大変驚きました。私が子どもの頃はゴジラのようなイメージだったのが、このところは、何と羽毛が生えていたという学説が主流となり、それがまた今度は、羽毛ではなく小さな鱗状のもので覆われていたようだと言うのです。学者が綿密な研究に基づいて出した学説や常識と言われることでもコロコロ変わり、実は不完全なものなのです。
私たちの人生は、そのようなあてにならない人間を頼りにして生きていく必要はありません。今年一年のテーマは「Divine Connection 神と繋がる一年を!」です。神が共におられるなら、神と共に歩むなら、迷うことなく本当に幸せな人生を生きることができるのです。今日の聖書のお言葉から、神に信頼して恵み溢れる勝利の人生を歩むために、2つのポイントを確認しておきましょう。

1.本物の礼拝をささげよう

日本人は、伝統を重んじ形式を守り、「形」を整えるのは上手です。礼拝に出席して、讃美してはいますが、魂の霊的な「管」は詰まっていませんか。神の御心と繋がる本物の回路を持っていますか。「霊的な礼拝」を持つためには、私たち自身を「生きた供え物」としてささげなさい、と聖書は言います。
旧約聖書では動物をささげましたが、新約聖書では、イエスご自身が十字架で血を流し、私たちの罪を背負って死んでくださいました。だから、形だけの礼拝ではなく、愛と真心をイエスにささげ、命をおゆだねする本物の礼拝をささげましょう。

2.信仰による本物の成長や変化を求めよう

「命」は単なる置物ではありません。生きていれば、常に成長し変化し続けるものです。
しかし変化すれば良いというものではありません。この世と調子を合わせて変化するばかりで、神に喜ばれる成長と変化がなければ残念ですから、気を付けましょう。そのためには、「神のみこころは何か」をわきまえ知ることが大切です。聖書を読むこと、奉仕、献げもの、祈り、伝道、愛することが、以前に比べてずっと熱心で力強くなるような、クリスチャンとしての成長と変化は、神に喜んでいただけるものです。そして、クリスチャンとして本当に成長して自分が変えられるために、「心の一新」つまり、決心と決断が必要です。
2017年の後半の歩みのために、今日の礼拝は、大変重要な礼拝です。この礼拝の中で、霊的礼拝によって、イエスに直結する礼拝者、神に喜ばれる者に変わる決断をしましょう。
本物の礼拝をささげることで、罪深い弱い私たちが、神に喜ばれる者に生まれ変われるという保証があります。それは、すでに救い主イエスが、私たちを愛してイエスご自身の命をささげてくださったことで、準備は整えられているということです。あとは、私たちが信仰を働かせて、その恵みを受け取れば良いだけです。一歩前進、一歩成長しましょう。

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主の前に出る信仰を高める

…ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。…ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。…イエスは立ち止まって、…「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。…
                   ルカの福音18章35節~43節

今日の聖書箇所で、目が見えず物乞いをするしか生きるすべのなかった男が、キリストとの出会いを通して、目が癒されるという驚くほどの恵みをいただきました。その時イエスは、あなたの信仰があなたを治した、あなたのその信仰が、恵みをあなた自身に引き寄せたのだよ、と言われました。
私たちもこの一年の折り返し地点となるこの1週間、2017年の後半に向けて、生きた信仰を自分の中に確立していきましょう。

1.自分の霊的感度を確認しよう

イエスからあなたの信仰があなたを祝福し、救った、と語っていただける信仰を持つために、私たちはもう一度自分自身の霊的な心の感度がちゃんと高められているかどうか確認したいと思います。
この男が生きていたのは、今とは違って二千年前の厳しい社会の中です。目が見えない彼には、物乞いをするしか生きるすべがありませんでした。彼は、人間の感覚の中でも最も大切と言っていい視覚が失われていたのですが、神を感じる霊的な感性においては、私たちより優れていたのです。いつものように物乞いをしていた時に、周りの雰囲気が何か違うことを感じ、周りの人に聞きました。そして彼は、救い主として人々が噂をしているナザレのイエス・キリストが来ていることを突き止めたのです。私たちの教会では、礼拝や特別集会、イベントで楽しく盛り上がりますが、そこにイエスがおられることに気づいて欲しいのです。イエスに対する霊的感度を忘れないようにしたいのです。

2.霊的な行動力を働かそう

仕事のノルマなら一生懸命がんばっても、神から促された霊的な事柄に対しては、信仰の行動力がないままでは残念です。祈れば良いと分かっているのに祈らないまま、気付いた時はすべてが通り過ぎて終わってしまっているということになりませんように。イエスがどこにおられるかもわからない盲目の彼にとっては、大声で叫ぶ以外に自分の存在をイエスに知ってもらう方法がなかったのです。でも彼は、自分に与えられた神からのチャンスを失わなかった。精一杯信仰を働かせて行動したのでした。私たちも霊的な行動力、信仰によって神を求める行動力に優れた者になろうではありませんか。

3.主に必要な恵みを求めよう

皆にとっては迷惑な騒音でしかなかった彼の大声も、イエスにとっては心から求める信仰の祈りとして響いたのです。彼を呼び出して、そしてイエスの方から語りかけて下さった。「私に何をしてほしいのか」。そのとき彼はすぐに申し上げます。「目が見えるようになることです」。彼は自分が神に求めるべき一番重要なものをすぐに申し上げて、その答えをイエスからいただいたのです。イエスの前に立つ時に、足りない愛、弱い考え、癒し、知恵、私たち一人ひとりが本当に必要としているものを素直に認めたいと思います。私たちの抱えている必要や問題が、主によって整えられ変えられ解決されることを祈ろうではありませんか。イエスの前に素直にへりくだって、自分の必要を正直に求めることができる者になりましょう。

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クリスチャンのライフスタイルを目指して

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。       コロサイ人への手紙3章16節

兄弟姉妹、今の時代は様々な問題、罪や悪の問題が私たちに迫って来ていると言っても過言ではありません。しかし私たちは、本当にいのちの溢れる生活を持ちたいのです。本当のクリスチャンであるためには、日曜日に礼拝に来るだけの律法主義的な信仰ではなく、生活様式がクリスチャンとして変えられることです。様々な状況の中でも、毎日の生活の中にクリスチャンらしいライフスタイルが定着しますように。6月も後半に入りましたが、これからの一週間もあらゆる状況の中でイエスの恵みを期待する私たち一人一人でありたいと思います。今日の聖書箇所からクリスチャンとしてのライフスタイルを確立するための4つの鍵を確認したいと思います。

1.神の御言葉によって生きる

毎日の歩みを神の御言葉に立って生きる者となりましょう! 「キリストのことばを豊かに住まわせなさい」と聖書は語っています。クリスチャンの私たちは神の御言葉を土台としましょう。ダビデは「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)と語りました。何があっても揺るがない、変わらない神の御言葉があなたの心の土台の核としてしっかりと据えられていますように。そのためにもこの一週間、あらゆる場面で聖書を開いて御言葉を心に刻みつけましょう!

2.神から知恵をいただく

神の御心がどんなに素晴らしいか、それは神が創造主だからです。創造主しかわからない知恵があるのは当然の摂理です。人の知恵ではなく、神からの知恵をいただきましょう。旧約に登場するソロモンは神に知恵を求め、それが神の御心に適い彼は偉大な王になりました。私たちも神に知恵を求め、それを互いに分かち合い、教え合っていきましょう。

3.戒めを受け入れる

今の世の中は自分の思いを全部受け入れて欲しいと思う人々が増え、その結果、世の中の仕組みも随分わがままになったのではないかと感じます。でも神は私たちに対し「戒め」ということをはっきりと語って下さいます。例えばヘブル12:7では「試練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです」と記されています。今の世の中は過保護になり、子供を叱らない傾向にあります。けれど神は、子供である私たちを躾け、戒め、時には懲らしめて下さるのです。自分の考えを認めてもらうことより、神に叱ってもらい、成長することを求めましょう。神が私たちを子として愛して下さり、本気で戒めて下さることを感謝しようではありませんか。

4.神を賛美、感謝する

ダビデは詩篇34:1で「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある」と語っています。兄弟姉妹、あなたの毎日の生活の中で、あらゆる時に賛美、感謝の声があげられていますように! あらゆる時に主をほめたたえる者でありたいと思います。そのためには、あなたに与えられている恵みを数え、それを証しし合い、笑顔と喜びを忘れないようにしましょう!
4つの鍵を実践し、この一週間を通してクリスチャンの生き様を自分のものとして定着しましょう。

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持ち続けるべきいやしの恵み

ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。もし、…すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。                 ヘブル人への手紙2章1節~4節

梅雨に入り、優しい色の柴陽花が、梅雨の雨によく似合います。今日は癒しの礼拝です。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じです。(ヘブル13:8)の御言葉通り、今も生きて働きたもう、真の救い主、主御自身の恵みに触れることができますから感謝です。どんなに変わりやすい世の中であっても、変わらない主の恵み、特に3つのことを確認し、恵まれてまいりましょう。

1.素晴らしい救いが与えられてる

3節に、こんなに素晴らしい救いをないがしろにしては、もう逃れられないとあります。イエスは真の救い主ですから、古い物と新しい物、死んだ者と、命を与えられている者とに分けられます。人間の歴史も、イエス以前(B.C.)と以降(A.D.)に分けられ、神の啓示、恵みの表れ方が根本的に違います。また、あなたの人生も、イエスを信じる前と後では、どれほど変えられたか。病気の時、仕事で不安を感じたり、人間関係で心がざわつく時、今ではその瞬間に祈り、イエスの助けを求めています。イエスを信じて歩んでいくと、人を嫌い、不平不満、愚痴をこぼしていた私たちが罪清められ、感謝ですね!ハレルヤですね!と喜び、賛美をし、主をほめたたえる者と変えられていることを感謝しましょう。これほどの素晴らしい恵みが、救いが与えられています。これを忘れず、更に新鮮な恵みをいただいてまいりましょう。

2.増し加えられる主の恵み

4節にあるように、主は今も生きて共に働き御業をもって証ししておられるので、恵みは流れ続け、増し加えられます。そして神の恵みと祝福は無限大です。イエスを裏切ったペテロや、クリスチャンを迫害したパウロでさえも、イエスの十字架によって、赦し清められ、その上、聖霊が下ると、彼らがイエスの御名によって祈る時、人々は聖霊に満たされ、病の癒しや様々の奇跡、祝福の御業が起こりました。「病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます」(ヤコブ5章)と聖書は約束しています。今日、信じる私たちが集う教会の中に働く癒しの力があり、しるし、不思議、力ある業が現わされます。主の御名には力がありますから、今も変わらぬ、恵みの御業を体験しましょう。

3.受け継がれている神の恵み

福音は、イエスから弟子たちへ、弟子たちから初代教会へ、そして私たちへと伝えられました。単なる言葉としてではなく、教会の中に働く聖霊の力によって、教会に集う皆に受け継がれました。2千年経った今も、神の御前には、同じ新約の教会の時代ですから、主の愛も聖霊の力も、ちゃんと届き、証しされています。聖霊の働きを聞く時、あなたの側から、繋がりを断たないで下さい。神はあなたに恵みを届けようとしておられますから、その流れを切らないことが大切です。世の中は難問だらけ、悩みは尽きませんが、私たちは罪の流れには押し流されません。なぜなら、主イエスの土台の上に立っているからです。こんなに素晴らしいキリストの救いを与えられ、恵みが増し加えられ続けていることを感謝しようではありませんか。さあ、もっともっと主の証し人として、元気に歩ませて下さいと御一緒に祈りましょう。

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聖霊によって拡がりのある世界

そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
                  ルカの福音書24章45節~49節

6月と言えば梅雨ですが、雨が多くて嫌な季節にしないで、日々の生活の中で心と身体に神からの恵みの雨を豊かにいただきましょう。
クリスチャンとして人生を歩むことは実に感謝なことです。自分の心の器は小さくて、能力には限界があります。すぐに壁にぶつかり落ち込み悲しみます。しかし、小さい器の中で萎縮するのではなく、神と共に歩むことによって、神の愛に触れられて、人生のスケールがどんどん拡がっていきます。だから、いつも喜びがあり平安があります。
今日は、世界中のキリスト教会で、天から神の聖霊が私たちのもとへ下って来られたことをお祝いするペンテコステの聖日です。イエスが十字架にかかられ三日目に死から甦られ、四十日間弟子たちと共に居られたあと、天に上げられました。その十日後にイエスが約束されたもう一人の助け主である聖霊が下られました。
教会に初めて来た方も、教会には来ているけれどまだクリスチャンでない方も、また教会と共に長く歩んできた「ベテラン」クリスチャンも、聖霊の働く信仰を信じて、自分の頑張りや努力、コネ、お金の力ではなく、神の力・霊的な力を体験してほしいと思います。十字架の場面でイエスを裏切ってしまった情けない弟子たちが、聖霊を受けて力強い証人として生まれ変わり、それによってキリスト教が世界に広まっていったのです。
今日の聖書の箇所であるルカ24章は、イエスの生涯のしめくくりの時に、どうしても弟子たちに伝えたい、福音の拡がりについて語られています。

1.十字架の死で終わるものではない

イエスは、私たちの罪を背負って十字架にかかって死なれ、三日目に死者の中から甦られました。イエスの名による罪の悔い改め、救いの約束(福音)が、ゴルゴタの丘から始まり世界中に、時間と空間、老若男女を問わず伝えられ、証しされ、現代を生きる私たちにまで拡がっていきました。聖書で語られる恵みの約束は、この一冊の本の中に閉じ込められた小さな約束だと思い込んではなりません。

2.一人の救い主からすべての人々へ

十字架上で死なれたのはイエスお一人ですが、救われ、神によって罪きよめられ、喜びのある神の子どもとされたのは、あらゆる国の人々でした。そして、私たちを含め多くの人々が、主の証人となりました。イエスの命によって、世界中のすべての人々が、神の愛の視野の中に入ってきたのでした。

3.あたなも天からの力を着せられる

あなたは、イエスが約束された聖霊の賜物を直接天からいただき、人生の目的やビジョンを持って、主の証人として歩んでいけるように変えられます。ペテロが経験したのは、魂の内側から造りかえられる、まさに大変身です。同じ十字架のイエスのもとから押し迫る恵みの拡がりが私たちにもあるのです。
神の愛から脱落する者は一人もいません。どんな罪人でもイエスの前に罪を悔い改めて、私を救ってくださいと願うなら、必ず救われます。今日はペンテコステの聖日です。私の魂の器にも、神の聖霊を注いでくださいとお祈りしましょう。そして、神からの力をいただいて、主の証人として力強く歩んでまいりましょう。

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主にある“一途さ”のある信仰

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
                 ピリピ人への手紙3章13節~14節

皆さんのお祈りに支えられて、一週間のアメリカ出張から帰ってまいりました。私たちが日本事務所をしているメトロ・ワールド・チャイルドの本部ビルに、ビル先生をはじめ世界中から責任者が集まっての会議でした。子供たちに対する熱心な働きについてお互いに証しし、これからの働きについて話し合うことができました。この会議を通して一途に一つのことに集中して熱心である、というクリスチャンとしての姿勢をもう一度教えられて心から感謝いたしました。
さあ皆さんのこの一週間はいかがでしたか? 神が共におられますから、私はこんなふうに祝福され、充実していました、と証しできる一週間を歩もうではありませんか。私たち日本人は毎日大忙しで、毎日いろんなことに追い掛け回されています。でも忙しさが心を滅ぼし、中身のない、疲れるだけの日々になりませんように。
今日開いた聖書箇所から、クリスチャンとして、主にあって充実した歩みをしたいと思います。そのためにこの朝、見直しておきたい鍵が3つあります。

1.心に一途な信仰があるか確認しよう

偉大な伝道者と呼ばれていたパウロであっても、現状に全く満足していなかったのです。この一事に励んでいます、とパウロが語ったように、この一週間あなたが特に祈っていくテーマを一つ持ちましょう。自分のために、あるいは誰かのために、祈ろうではありませんか。時間を調整して、クリスチャンとして集中して取り組むべき事柄を一つ絞り込み、少なくともそれだけは、しっかりイエスに祈って行動しましょう。
クリスチャンとして、今週どんなことをしましたか、どんなことにチャレンジしましたか、と問われた時、これに力を注いでみました、と明確に言える一つのものをしっかりと持っていきたいと思います。

2.後悔ではなく、前に向かって前進しよう

ここに、「すなわち後ろのものを忘れひたむきに前のものに向かって進み」とあります。この一週間が、何か特別な日々ではないかもしれませんが、私は前進する者でありたいと思います。クリスチャンであることの素晴らしさは神にあって私は日々前進することができるということ。確かに弱さ足りなさを抱えた私たちですから、過去には失敗もいっぱいあるでしょう。日本人は、くよくよ考えてしまう癖がありますが、神は希望の神ではありませんか。イエスはあなたに寄り添いながらも、必ず前に向かっておられる。イエスとともに前に向かって前進し、失敗を単なる後悔で終わらせず、失敗の土台の上に私は前進
を神から与えられたいと思います。

3.イエスを見上げて精一杯歩もう

イエスを見上げ、イエスからほめていただけるように、与えてくださる栄冠に向かって、精一杯努力していきましょう。「わたしがあなたを選び、任命した。それはあなたがたが行って実を結び、その実がいつまでも残るためである」という、イエスの御心を頂いている私たち一人一人の人生の中には、必ずなすべき事柄があります。人と比べて幸せならいいと考える雰囲気が世の中に溢れています。でも私たちは、神の御心によってクリスチャンにしか与えられない神からのビジョンがあることに気付き、その実現のため、イエスからほめていただけるように、私たちの人生を精一杯向上させていきましょう。

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自ずから与えられるいやしの恵み

ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。…そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
                    使徒の働き3章12節~16節

イエスを信じて歩んでいくという事はイエスの救いにあずかり私たちの命が変えられる事です。そしてイエスはいつまでも変わる事のない救い主ですから、「主の恵みは朝ごとに新たなり」というお言葉の通りにイエスが働かれる所にはどこででも新鮮な恵みが与えられますから感謝します。あなたの人生には辛い事があったかもしれません。しかし、あなたはイエスの愛に触れ、救われたのです。この救いによって私たちは生まれ変わらせていただき、日毎に新しい恵みが与えられ、主と共に歩んでいくことができるから喜びましょう。
今朝は癒しの礼拝です。癒しの恵みをしっかり受けとめてまいりましょう。今日の聖書箇所は、ペテロとヨハネが神殿で祈り、「美しの門」を通った時に、施しを求めてきた足なえの男を瞬時に癒した(1~8節)後、引き続き起こったペテロの演説の箇所にあたります。この聖書箇所から3つのポイントを押さえておきたいと思います。

1.癒しは信仰生活の中で自然に起こる

ペンテコステによって誕生した教会にはキリストの愛、聖霊の力が働き、集う人々は毎日祈り、主イエスの御言葉に立ち、愛の交わりを成長させ続けていました。そのような状況の中でペテロとヨハネはいつものように宮で祈り、帰る道筋で物乞いの男に出会いました。ペテロが「イエスの名によって歩きなさい」と言った結果、なんと瞬時に彼は癒されたのです! 兄弟姉妹、この事を掴み取って下さい。ここで彼らの祈りを通して最初の偉大な奇跡の御業が体験されたのです。彼らは特別な準備、訓練をしたわけではありません。ただ聖霊が注がれ素直な信仰生活をしている、その流れの中で癒しの御業が当たり前のように起こっている事に注目しましょう。ですから私たちが信仰に励んでいるならば当然のように神の癒しの御業、イエスによる癒しが、ありのままのあなたの人生の中にも起こってくるのです。神の恵みが与えられる事を信じましょう。

2.癒しはイエスの御名と御名を信じる信仰によって起こる

ペテロは16節で「イエスの御名に力がある」と語っています。イエスの御名とは、私たちの救い主のお名前ではありませんか! この御名に人々を救う権威があり、救いの力の出所があり、癒しはイエスの十字架により完成しているのです。御名を信じる信仰を用意して、イエスの御名の権威と、御名を信じる信仰が合わさる時に癒しの御業は起こるのです。決して私たちの努力や頑張りや能力ではない事をはっきり知りましょう。あなたが頑張りすぎると神の御業を邪魔してしまいます。素直にイエスの力、権威を受けとめたいと思います。イエスの御名と御名を信じる信仰によって癒される事を感謝しましょう。

3.主の御前に自分の清さを求める

ペテロの演説はまだ続きますが、話の中心点は「悔い改め」(19節)、「邪悪な生活から立ち返る」(26節)ことになっていきます。イエスの御名に相応しく御名を素直に信じる人の心は、主の御前に悔い改めて清められた心です。私たちの心は正しいと思う考えの中にも邪悪さが潜んでいる事に注意しなければなりません。だからこそ、主の御前に自分の清さを求めようではありませんか!

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主キリストの血による恵み

…私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。…私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。…しっかりと希望を告白しようではありませんか。また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、…ますますそうしようではありませんか。
                ヘブル人への手紙10章19節~25節

今日は母の日です。もし忘れていたら、今からでもお母さんたちに感謝を伝えましょう。この母の日は、世界中で広く祝われていますが、元々アメリカの教会から始まり、当時の大統領令として5月の第2日曜日が母の日として制定されました。その後、父の日も教会から世界中に広まりました。アメリカは、建国以来2百数十年の中で、4回の大リバイバル運動があり、この記念日が制定された時は、3回目のリバイバル運動の中でした。そのためこの習慣が世界中に広がったのです。そして、これから日本の社会を変えていくのは私たちの教会、これを信じて前進しましょう。
私たちの交わりとは、父なる神、御子なるイエス・キリストとの交わりです。私たち一人ひとりが、イエスと結びつくことによって、それぞれがイエス・キリストを通して交わるのです。主キリストによって与えられた繋がり、交わりが、私たちの人生にあることを喜びましょう。聖餐式を前に、主の血潮により与えられた3つの大きな恵みを確認しましょう。

1.イエスの血潮によって救われた

旧約の時代には、民の代表である祭司が神殿で神を礼拝し、そこにある幕を通って最も神に近づく至聖所に入ることができたのは、大祭司と呼ばれる人だけでした。
しかし、イエスが来られたことにより、すごいことが起こりました。イエスの血潮を通るなら、神が共におられるいのちの場所、至聖所に誰もが入ることができるようになったのです。このイエスこそ本物の大祭司であり、イエスの十字架の血潮で救われ、私たちも神の臨在に触れることができるのです。聖餐式を単なる儀式としてお茶を濁すことがないように、信仰を持って感謝して受け止めましょう。

2.新しい生き方が与えられている

私たち人間が生み出すものはいつも色あせ、限界があります。しかし、洗礼を受けてクリスチャンとして歩む者は、色あせない希望を告白する生き方、死の向こう側にある永遠のいのちの喜びと平安、希望を持って生きることができます。
聖餐式でイエスの十字架の恵みに与(あずか)る時、どんなに弱い私でも揺るがない、いつも希望と信仰を告白できる、強い新しい生き方を与えられていることを感謝しましょう。私たちは弱くても、私たちと共におられるお方は強い、と聖書に書かれているこの新しい生き方が与えられていることを喜びましょう。

3.信仰による交わりが与えられている

救われるということは、兄弟姉妹と共に歩む生き方が与えられていることでもあります。自分が愛されるだけでなく、愛に満たされた行いをお互いにし合えることを感謝しましょう。
この当時、せっかくキリストによって救われたのに、集まることをやめたり、わがままな人が出始めたようです。お互いに個人的なことは詳しく知らないかもしれませんが、その人もまた、イエスに愛された人であり、イエスを通して、主にある兄弟姉妹なのです。だから、教会を通して互いに交わるのです。イエスが私たちのために血を流し、救いを成し遂げられ、この方によって新しい生き方が与えられました。
聖餐式でイエスの愛をいただき、強められ、兄弟姉妹を愛して歩むことを告白して祈りましょう。

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神様と深い関係を持つ

…ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。…イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。…イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」…ザアカイは立って、主に言った。「…私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。…                ルカの福音書19章1節~10節

私たちの愛する松山福音センターのスタッフであった井原真弓姉が、5月1日に召天されました。実は、バザーの前から危篤状態でした。バザーも勝利のうちに終わり、万代牧師が九州聖会や日本宣教フェスタの御用で留守になる前に、前夜式も告別式も松山にいるタイミングで執り行うことができました。今は悲しい思いでいっぱいですが、姉妹の魂は天国にあり、私たちのために祈って下さっていることを感謝したいと思います。
さて今日は、ザアカイの話を通して神と深い関係を持つことの恵みをしっかりいただきましょう。

1.神に近づきなさい

ザアカイは、取税人の頭で金持ちでしたが、人々からは罪人の頭と言われ、本当の平安はありませんでした。イエスに救われた人の話を聞き自分もイエスに会いたいと思い、背の低い彼は、いちじく桑の木に登りました。イエスは、そんな彼の名を呼んで、「あなたの家に泊まることにしている」と、ザアカイの思いもよらなかったことを言われました。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)との信仰を持って一歩神に近づけば、神は何歩も近づいて下さいます。
4月にイースター、6月にはペンテコステがやってきます。「父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります」(ヨハネ14:16)。旧約では、預言者を通して語られる神でした。イエスが来られた時は、インマヌエルの神としてぐっと私たちに近づいて下さいました。しかし今は、信じる者一人ひとりの心の中に聖霊として住んで下さるのです。

2.神との深い交わりを持つ

ザアカイはどう悔い改めをしたらいいか、どう生きたらいいかわかりませんでしたが、イエスに会えばわかると思いました。そして、家に来ていただいて一緒に食事をしながら、はっきり教えられたのでした。「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します」と具体的に告白し、救いをはっきり経験しました。イエスがそうしなさい、と言われたのではなく、イエスとの交わりの中で教えられたのです。私たちが神との交わりを持ちさえすれば、神は私たちが知りたいこと、なさねばならないことを必ず具体的に教えて下さいます。神との交わりは、礼拝や祈りはもちろんですが、聖書を読むことが一番の方法です。
私の証しですが、人は何のために生きるのかいつも考えていた時に、偶然教会のパンフレットを手にし、教会に通うようになりました。神によって目的を持って生かされていることを教えられ、受洗しましたが、しばらくして教会を離れてしまい、どんな仕事をしてもうまくいかず満たされないままに、とにかく聖書を読み続けました。そんな中で、マタイ5:23,24の御言葉によって、離れていた教会に行って赦しを請い、戻ることができました。祈ってもわからないことも、聖書を読み続けていると神が導いて下さいます。ザアカイのようになりふり構わず、神に近づき、聴く姿勢があれば、神は必ず御霊によってあなたを導き、選ぶべき生き方を教えて下さいます。聖書通読表を用いて聖書をしっかり読み、神から与えられた御言葉に素直に従って、ザアカイのように実行していく者でありたいと思います。

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