いとおしむ神

…神である主は一本のとうごまを備え、…ヨナの不きげんを直そうとされた。…しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。太陽が上ったとき、…彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」…主は仰せられた。「あなたは、…一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」                                                          ヨナ書4章1節~11節

オリンピックが始まりました。急に愛国心に目覚めて、日本を熱く応援する人々が急増中です。実は聖書にも自分の国が大好きな愛国者が登場します。預言者のヨナです。自分の国イスラエル大好きのヨナ、彼の名は「鳩」を意味します。鳩と言えば、オリンピックの開会式でも必ず登場する平和の象徴であり、また伝書鳩。遠くまで通信文を運ぶ伝書鳩ように、ヨナは、国境を越えて遠くアッシリヤの国まで神の言葉を運ぶ、最初の宣教師となります。
Ⅱ列王記14章では、イスラエルの領土拡大を預言したヨナ。彼に再び神の言葉が臨む所からヨナ書は始まります。「敵国の都ニネベに行き、その罪は天にまで届き、このままではあと40日で滅びることを告げよ」と命じられたヨナは全く別方向の船に乗り、神からの逃亡を計ります。しかし、嵐に会い、海に投げ込まれたヨナは、大きな魚に呑み込まれて、3日3晩、魚の腹の中で悔い改めて、ニネベに向かい、「あと40日でこの町は滅びる」と告げます。どこの馬の骨とも分からない外国人の突拍子もない言葉に、なんと王様も町中の人々も悔い改めて、ニネベは、神のあわれみにより、滅びから救われるのです。
結果的に敵国を助けることになって不機嫌なヨナ。彼のために、神はトウゴマを生えさせ、心地よい陰を作り、彼の不機嫌を直されます。しかし翌日、一匹の虫に噛まれてトウゴマが枯れると、死ぬほど怒るヨナに、神は語ります。「一日で生えて枯れるトウゴマさえあなたが惜しむとしたら、わたしがニネベの町と人々の命を惜しまずにいられようか」と。

「惜しまれる神、いとおしむ神」

ヨナには分かりませんでした。まことの神を知らず、神の民に敵対するアッシリヤの都ニネベなど滅びて当然、なぜ神はニネベを助けられたのか。しかし、ニネベが滅びなかったのには理由があります。
ニネベを惜しまれる神がおられたからです。普通はあまり良い意味で使われない「惜しむ」という言葉が、ここでは輝いています。心が痛むほど愛して失いたくない、だから「惜しむ」、「いとおしむ」。滅びてよい人などいません。神は「惜しまれる神」、「いとおしむ神」です。それが十字架の御心です。主イエスは、私たちを失いたくないと惜しみ、身も心も痛むほど愛し、身代わりに十字架で死なれたのです。
この罪に満ちた世界が滅びないで存在しているのは、なぜでしょうか? 理由があります。それは、一人一人の存在をいとおしむ神がおられるからです。ヨナには滅びて当然と思われたニネベさえ惜しまれる神の御心を知ったとき、ヨナは思い出したかもしれません。実は自分も滅びていたはず…あの時、神の命令に背き、嵐の海に投げ込まれたとき、滅びていたはずなのに、救われたことを。それは神がヨナを惜しまれたからです。私たちもそうです。私たちをいとおしむ神がいます。だから、罪の中で滅びていたはずの私たちも救われて、今、ここにいます。
11節「惜しまないでいられようか」との神の語りかけにヨナがどう答えたのか…、聖書には記されていません。イスラエル人だけの神ではない、全ての人を惜しみ、いとおしむ神。その御心に、どう応えるのか。ヨナだけでなく、私たちも問われています。
ヨナのように、私たちも足りない者です。しかし、ヨナが伝えて、ニネベが変えられたように、私たちが伝えるなら、世界さえ変わります。いとおしむ神がおられると知るなら、すべては変わるのです。

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