キリストの必要とされる証し人

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。…すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。                                                  ヨハネの福音書1章1節~8節

街はクリスマス一色ですが、私たちの教会も飾り付けがなされ、クリスマスがスタートしました。ぜひ、イエスのおられるクリスマスを体験しましょう。
このところ長年の癌がいやされた方や家族が救われる方、すばらしい御業が現されていますが、私も嬉しいことがありました。一昨日、茨木の永井先生の教会の50周年記念大会で伝道メッセージを精一杯語らせていただきました。その中で旧友やご家族が救われたという感謝なご報告をいただきました。

1.イエスの事実を体験する

皆さんはイエスに対してどんなイメージを持っていますか? 聖書の中では、王の王、主の主、羊飼い、常世の岩などとして表現されていますが、クリスマスのたびに、イエスがやみの中に輝く光であり、やみはこれに打ち勝たなかったことを思い起こしたいのです。
日々の生活は楽なことばかりではなく、心が暗くなり、落ち込み悩み、生きることが嫌になることもあるでしょう。やみは確かにあります。しかし、やみが事実なら、それ以上に光として来られたイエスを事実として受け入れましょう。クリスマスの物語は、救い主が誕生されて、幸せでほのぼのするから祝うのではありません。クリスマスの神髄は、世の初めからおられた神が、人となってこの世に下ってこられて、私たちの命を正しく整え、救いの道を開かれたことにあるのです。御子エス・キリストをこの世に送って下さり、どんなに弱く迷いやすい私たちでも、神の命と救いを受けて生きることができるのです。
この汚い心にイエスが宿って下さり、救いの道が成就する。だからイエスに感謝するという思いを込めて、メリークリスマスと言うのです。イエスの誕生は、単なるおとぎ話や2000年前の昔話ではなく、文字通りの事実として、神が人となってこの世に現れたのであり、そして私たちの心にも現れるのです。

2.イエスを証しする者となる

大変興味深いのは、イエス降誕の物語に、洗礼のヨハネがイエスの証人として登場することです。
先日、東京の中学生の女の子が満員電車で通学中、隣に座っていた50歳ほどのサラリーマンの男性が突然切れて絡んできて、本人も学校もひどい苦情を言われてしまいました。幸い、ひとりの男性が「大丈夫、何かあったら証言してあげる」と名刺を渡して励ましてくれたそうです。正しいことでも、証言してくれる人がいなければ事実が誰にも伝わりません。
同じようにイエスも、誕生の時には証言する人が必要だったのです。神は、マリヤを母、ヨセフを父とし、ガブリエルや羊飼い、博士たちなど、イエスを証しする者を準備され、洗礼のヨハネをイエスの前に遣わされました。イエスを証しする人が必要だったからです。
2012年、あなたにとってイエスは事実でしょうか。神は、イエスを体験し事実として確認する人、そして証しする人を必要とし、待っておられます。私たちは、羊飼いのように、取るに足らない存在かもしれません。でも神は、証言者を求めているのです。
さあ、クリスマスをスタートさせましょう。全国のクリスマスで、イエスの元に人々が集まるように。2012年、洗礼のヨハネの代わりは私たちです。

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