キリストを信じる恵みの大きさ

また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。                                                                           ヨハネの福音書12章44節~47節

私たちは、選挙で責任を持って政治家を選ぶことはもちろん大事ですが、私たちが神から選ばれたクリスチャンであるという自覚はもっと大切です。クリスマスは、クリスチャンが輝いていなければなりません。このクリスマス、ひとりでも多くの方に福音を聞いていただきましょう。
今日の聖書箇所から、イエスを信じるということはどういうことかについて学びたいと思います。

1.イエスの向こうにある恵みにつながる

44節~47節にあるように、キリストを信じることは、目の前に現れたイエスを信じて終わるのではありません。聖書の神は天地宇宙を創られた偉大な神で、その偉大さは、私たちには大きすぎて理解できません。ですから神は、ご自身を御子イエスとして、私たちにわかるよう凝縮して現して下さったのです。
私たちが一番理解できるのは、人として同じ言葉を語り、私たちにわかる概念で神を伝えてくれることです。だから神は、イエスによってご自身を私たちに現して下さったのです。これを、イエスを通して神は自らを啓示して下さったと表現します。
イエスは入り口であり門です。イエスを信じ、その御名によって祈るとき、その向こう側に広がる偉大な神のいやしの世界を体験することができるのです。

2.もたらされる変化の大きさを知る

46節に、光とやみという言葉が出てきます。ヨハネは非常に対照的な言葉をしばしば記述しています。死と命、上の世界と下の世界、やみか光かなど、ヨハネの福音書の中にある象徴論です。しかし、これは単なる象徴で終わるのではなく、具象化してわかりやすい形に置き換える必要があります。私たちのやみとは、光とは何でしょう。
憎しみや苛立ち、嫌悪感、病気、お金に追い立てられた生活というやみを、イエスの到来によって、喜び感謝、受容、愛、命、いやし、救いの喜びという光へと変えられる。イエスの御業は、やみから光へと正反対の世界の中に私たちを導き入れます。キリストを信じることで、全ての人の人生が、劇的に変化することが約束されているのです。

3.神の約束としての救いが与えられる

聖書は、私たちの人間が作り上げた安っぽい宗教の考え方から解放されることを語っています。本当の神は、罰を当てたり、懲らしめるのではなく、人間を救う愛の神であることを知りましょう。
イエスはご自身を世の救い主と語られましたが、単なる勢いや口約束ではなく、その通り身代わりとして死なれたのです。この救いが本物だからこそ、今日まで2000年にわたってクリスチャンはクリスマスを喜んできました。そして、このイエスの救いの恵みの中にいやしもあるのです。私たちはいつか必ず死にます。だからこそ、神からの最大の恵みとして、与えられた命を日々喜び、主を証ししつつ精一杯生きるのです。イエスはわずか3年半の公生涯の中で多くの部分を、ご自分の力を現す一番価値あるものとして、いやしの御業のために使われました。単なるとげ抜き地蔵の御利益とは違い、いやしはイエスの救いの一部です。その祝福をいただきましょう。

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