神の御子がもたらしたもの

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。                          ヨハネの手紙第一 4章9節~10節

昨日の松山の市民テャリティークリスマスが終わり、明日からもクリスマス集会が連日行われます。松山も今回は2回の公演でチャレンジしましたが、神様が大変祝福して下さり、多くの方々に福音の種をまくチャンスを与えて下さったことを感謝します。
今日の聖書箇所は、クリスマスの出来事の持つ意味が書かれているようなところです。クリスマスによって私たちにもたらされたものについて学びたいと思います。

1.神の命がもたらされた

私たちは神によって造られた世界で、もちろん生物学的命によって、他のものと同じように生きています。しかし人間は、神の霊によって生きる命が必要です。それが御子イエスによってもたらされました。
イエスの誕生は、「この物語は実在の人物とは関係ありません」というテロップ入りのフィクションではありません。神の御子が、私たちと同じ人間の赤ちゃんとして生まれ、神の命が私たちの世界にもたらされたのです。
家で熱帯魚を飼ったことがありますか? 飼育上、特に怖いのは伝染病です。魚の住む世界に毒やウィルスが入ると、その世界全体が毒されて生きることができなくなります。イエスはその正反対のことをされました。やみの世界に住む私たち人間に光を照らし命を与えるために神の命がやってきたのです。
やみが覆う私たちの人生をイエスが根本から変え、神がともにいて下さるという、本来の生き方ができるように神の命がもたらされたのです。

2.神の愛がもたらされた

イエスは、単なる理論や理屈ではなく、その愛を、私たちの罪を背負って十字架で死ぬところまで表されました。全ては愛のためでした。イエスは、熱い思いで人間を愛されたのです。
心理学で愛を学ぼうと思えば、どれほど勉強しても学びきれません。しかし、イエスがおられなければ、愛は架空の概念でしかありません。本物の愛は神の御子キリストが、私たちの奴隷としてこの世に来て私たちの罪を背負い死んだことで明らかになりました。「ここに愛がある」と書かれている通り、キリストの誕生によって神の愛が事実であることを証明したのです。イエス・キリストのこの世への誕生は、神の愛が結晶化したものです。

3.罪のあがないが実現

イエスは、私たちの罪のあがないのために神へのなだめの供え物として生まれて下さいました。
神には偽りがありません。汚れを許すことはできません。汚れたものは完全に取り除かれなければなりません。ですから、私たちが死ぬ代わりに、イエスが生け贄となるために生まれたのです。
アブラハムがイサクを捧げるとき、代わりの供え物を用意してくれていたのと同じように、私たちの命の代わりの捧げ物がイエスです。イエスが私のあがないであり、それによって救われたと認めるとき、クリスマスは自分のこととなるのです。
クリスマスを祝う意味がこの箇所に書かれています。イエスの無償の恵みと愛に感謝しましょう。

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