聖霊により与えられているもの

…ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。             …使徒の働き3章1節~10節 

今日は、主の弟子たちに聖霊が降臨した、ペンテコステの聖日です。イエスが約束して下さった主の御霊が注がれて教会が誕生しました。聖霊が満ち溢れる所、それがキリストの体なる教会です。この教会に、主の御業は今も起こります。今朝も癒しのために共に祈りましょう。主が働いて下さいます。
世の中も、人の心も変わりやすいものです。けれど聖書の御言葉、神の約束はいつまでも変わらない、このことを告白して主の恵みにあずかりましょう。
今日の聖書箇所で注目したいのはペテロの言葉、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」です。家もお金もなく、読み書きさえできない、ペテロにとって「ないもの」は山程数えることができました。しかしその彼らが、世の中で誰も起こすことのできない、生まれてから一度も歩いたことのない男をいやし、立ち上がらせるという奇跡を起こしたのです。それは、彼が自分に「あるもの」に注目したからです。ペンテコステの聖日、クリスチャンが主から与えられている3つのことを確認します。

1.平安が与えられている

この物語の直前まで弟子たちは弱かったのです。イエスの十字架の死を恐れ、裏切った自分の罪に耐えかね、イエスの復活の意味もわからない…。しかし、聖霊が降って彼らは変えられました。イエスが共におられる平安が与えられ、それが彼らの大胆さの土台となったのです。
私たちはひとりぼっちではなく、イエスがいつも共におられ永遠の命で満たして下さるという、平安が与えられていることに感謝しましょう。変化の激しい世の中で不安になる時、迷う時、どんな時も本物の平安を持って歩むことができるのは、イエスが共におられるからです。

2.聖霊が与えられている

この直前に、天から聖霊が降り、異国の言葉で神の恵みを語り、彼らは明らかに聖霊に満たされ、力を受けたのです。神の権威は、単に人を裁く厳しい言葉だけでなく、人々に力を与える聖霊で満たして下さるのです。聖霊の満たし、聖霊の油注ぎを頂ける恵みに感謝しましょう。神のしもべとしての働きを始めるための第一歩がここにあります。

3.キリストの御名が与えられている

私たちが神の恵みを体験するために、神が与えて下さる信仰の武器が、「主イエス・キリストの名」、神の御名であることを喜びましょう。「美しの門」で男を立ち上がらせる奇跡は、ペテロが彼に与えられているもの、彼の信仰生活の中にあるものを躊躇なく掴み取った時に与えられた恵みでした。私たちには、証し人としての具体的な働きをするために主の御名が与えられているのです。
ペンテコステの聖日、あなたが神から与えられているものが既にあることを知って下さい。
27日からインド伝道に出かけます。今回も何千人、何万人の人々が集まる野外集会でイエス・キリストの救いが現されるように、癒し、解放が起こるように、この牧師と一緒に戦って祈って欲しいのです。主の証し人として立つ信仰を与えられましょう。

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