祝福の種を豊かに蒔こう

…少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。…蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 
               コリント人への手紙第二9章6節~10節 

 

2014年お正月を迎えたと思えばもう2月になろうとしています。新年にあなたが願った事柄に向かって進んでいるでしょうか。信仰をもって祈ろうではありませんか。2月になるにつれて寒波が訪れ、寒さ本番に入りますが、その先には暖かい春が待っています。祈りの答えが、季節のように目に見えた変化がないようでも、神に祈り続け、実を実らせて頂きたいと思います。この寒い間にも私たちは種を蒔き、待ち望みたいのです。

1.同じ種を蒔くならば豊かに蒔く

「豊かに蒔く者は、豊かに刈り取る」(6節)とありますが、ここ20年続いた不況のせいで、私たちの心が萎縮しているように感じます。金銭面の節約や倹約をしなければいけない部分があるとは思いますが、魂までも小さくしてはならないのです。現実に夢を見られないと思う人たちが若い世代にも多くなっているようです。実現できるかどうか分からなくても挑戦してみる、という気力が社会全体で薄くなっています。そんな中、私たちクリスチャンは喜びの種、祝福を約束された種を豊かに蒔きたいのです。同じ種であるならば、大胆に蒔きたいと思います。

2.喜びをもって種を蒔く

7節には、「いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」と書かれています。同じことを学んでも、それが定着するかどうかは心の状態によって大きく変わってきます。例えば、神学生たちが必ず口にする言葉が「今までこんなに勉強をしたことがない」です。学生時代、何年も勉強をしたはずですが、興味もない授業で、勉強に身が入らなかったのです。どんなに良い環境を与えられたとしても全ては自分自身の心構え次第なのです。信仰生活においても同じことです。神は祝福の神であります。そんな主の恵みを頂くためには、自ら進んで神の恵みに与かろうとする、私たちの信仰が求められています。祝福を信じて祈り行動を起こすのであれば、喜び感謝し、自ら進み出てなす者となろうではありませんか。心の状態を神に向け、心からの喜びをもって種を蒔きましょう。

3.蒔くべき種をも主が与えられる

8・10節にあるように、神は、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。私たちは、消極的になり、自分には蒔く種がないと勘違いしているかもしれませんが、蒔く種をも主が与えてくださるのです。5つのパンと2匹の魚の物語では、誰もがその量では5千人を超える人々の空腹を満たすことができないと思ったことでしょう。しかしどうですか。主はそのわずかな量を大きく用いられたではありませんか。私たちから種が消えることは決してありません。与えられた種をイエスに委ね共に蒔く時、恵みの法則どおりに、30倍、60倍、100倍と主が実らせてくださいます。もし祈りの中でふと、この思いは神から与えられたものだと感じた時には、すぐに行動に移すことです。聖霊があなたに語っておられるのです。この春に向けても、具体的な収穫があるように祈って行動しましょう。

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