すべてを新しくされる主の恵み

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。     第二コリント人への手紙5章17節

桜の季節、春本番の到来です。この週、私たちは、キリストの十字架を感謝する1週間を歩みます。教会暦の中の二大祝日であるイースターが次の日曜日です。これは主の十字架の恵みと復活をお祝いする日です。イエスが十字架で死なれたのは、私たちの罪を取り除くため、罪を背負って身代わりとなるためでした。私たちが背負わなければならない、罪の呪いや裁き、滅びだけの人生から解放して下さったのです。2000年近く経った今も、変わらぬ恵みを与えられていることを感謝したいと思います。今日はこの有名な御言葉から、シンプルに2つのことを学んでいきましょう。

1.イエスを信じる

クリスチャンとしての歩みは、単に洗礼を受けて、教会のメンバーになるということではなく、イエスによって新しい命を頂いて歩むという実際の体験です。今、世の中には新しい物が溢れ、使い捨てが当たり前となっています。しかし人生には、仕事や家族など、簡単に使い捨てたり、買い換えたりできない大切なものが沢山あります。その中でも最も大切な命は、衣類のように洗濯したり、買い換えたりすることができません。では、どうしたら新しい命を頂けるのでしょうか。それは、今日の御言葉に「だれでもキリストのうちにあるなら」とあるように、イエスを信じることです。イエスを信じる素晴らしさは、単なる庶民で、大したお金もなくても、恵みによって私たちの命を全く新しいものに変えて頂けることです。それはイエスの愛です。「ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです」(Ⅱコリント5:14)とあるように、私たちの罪や汚れを全部背負って、身代わりの死をとげて下さり、御自分の命を与えて下さったのです。イエスの死によって、私たちすべての者が新しい命に生きるようにして下さったのです。イエスを信じ、新しい命を頂いてまいりましょう。

2.古いものは過ぎ去った

親から受けた辛い仕打ちを忘れられない、人を恨んでいる、飲酒、ギャンブルという悪い習慣を断ち切ることができない等々の相談を受けます。新しくなろうと思っても、実際に古いものを断ち切ることができない私たちがいます。17節に「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」とあります。イエスを信じ、イエスのもとに来てお委ねすれば、私たちの過去の出来事、心のアカや汚れを全部洗い流し、過ぎ去らせて頂けます。本当の解決が与えられます。イエスにはその救いの力があることを喜びたいと思います。イエスの十字架と復活は、私たちの内から古いものを取り去って、新しい生命を与えるものです。これが本当の救いの御業であり福音の基本です。この恵みをシンプルに頂きましょう。
さあ、学校も社会も新たな1年度が始まります。自然界も桜が美しく咲き、命が溢れています。クリスチャンである私たちをキリストの愛が取り囲んでいます。キリストによる新鮮な生命を頂こうではありませんか。文字通り、新しく生まれ変わる者とならせて下さいと祈り、春の歩みを始めようではありませんか。私たちを解放し、聖める主の御業によって、人を愛し、主のしもべとして、主によって救われた者として、新鮮な歩みができますように。

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