主の創造力を引き出す信仰

ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
                                  使徒の働き14章8節~10節

聖書の神の御言葉を通して与えられている信仰の世界は、日本人が思い込んでいる宗教、道徳、倫理、自分の哲学とは異なっています。本当の信仰は天地宇宙を造られた偉大な神、命を与えて下さる真の神と弱い私たちが向き合って結び付くことです。この神はどんなことでもでき、できないことは何一つありません。使徒の働きの時代は、今と違って多くの迫害がありました。しかし、3節にあるように、彼らは大胆に福音を証しし、主もまた彼らと共に働いて、不思議なわざを行ない、神の救いが本当であることを証明されました。ルステラという町でパウロたちが伝道した時、一人の生まれつきの足なえが癒されました。この物語を通して、生きた癒しの礼拝を今日も実現したいと思います。ポイントは2つです。

1.神の恵みの大きさ、可能性を広げよう

4福音書にも使徒の働きにも癒しのわざは多く語られていますが、この物語は聖霊によってなされたわざ。今を生きる私たちにもメッセージを持った特徴的なものです。同じ癒しでも様々なものがあります。単に熱が下がったとか、病気やけがでできなくなっていたことが、できるようになったという癒し。ここでは、生まれながらに足が立たなかった、歩いたことがなかったと念押しされるような、今まで全くなかったことが生み出された、無から有を生み出された御業なのです。彼の人生で1度も起こったことがないことが起こったという、回復や改善の範囲を超えた癒しです。私たちは、神様はどんなことでもできると口では言いますが、医学の常識や人間の知識で、自分の病気が癒されるのは難しいと思っています。無から有を生み出す神の可能性の幅を小さくしていませんか? 単なる回復の範囲ではなくて、神は創生という、存在しなかったものまで生み出すことのできるお方です。あなたの人生で1度も起こったことがないことを起こして下さいます。あなたの信仰の中で、神にはどんなことでもできるという可能性の幅をもっともっと大きく広げてまいりましょう。

2.神の力を引き寄せる信仰

9節にパウロは彼の中に癒される信仰があるのを見て、とあります。彼はパウロの語る言葉に耳を傾けていました。目がランランと輝いたのでしょう。歩くってどんなことだろう、素直に体験したいと思った彼の信仰に、癒される信仰があるとパウロは見抜いたのです。大声で自分の足でまっすぐに立ちなさいと言うと、瞬時に癒され、彼は歩き出したのです。信仰が癒しを引き寄せたのです。信仰は人まかせにはできません。やはり人生の大切なことは自分でやらなくてはいけません。私が持っている夜のラジオ番組は、15年間続く長寿番組となっています。放送局に自分で何度も何度も働きかけ、実現するまでに13年かかりましたが、人まかせでは実現しなかっでしょう。神の恵みをいただこうとする時、人まかせではなく、自分が神の前に立つべきです。直接イエスに向き合って、癒して下さい、神の力あるわざを体験したいのです、と心から願い、神の恵みを引き寄せるのです。神と人が結びつく信仰を持とうではありませんか。造り主なる神が持っておられる、どんな病でも癒すことができるという無から有を生み出す無限の可能性を忘れず、私たちの心を大きく開きましょう。

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