主は心を見ておられる

しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」                              第一サムエル記16章7節

10月後半に入りました。この一年の締めくくりに向け有意義に歩みたいと思います。「いつも感謝」の御言を携えてクリスマスに向かって主と共に恵みの秋を歩んでまいりましょう。
今日の聖書箇所は、イスラエルに最初に立てられたサウル王が、主の御心に適わないことをし、主が新しい王をエッサイの子の中から選ぶ際の事柄について記されています。この箇所から「心のあり方」が大切であることを学びたいのです。更に主の恵みに与り、更に豊かな実を結ぶ私たちになるために、私たちの心の潜在的な部分において注意すべきことに触れながら、本当に神から豊かに恵みを頂くために心を整えていきたいと思います。

1.「飾らない心」でいる

私たちが注意すべきことは、つい自分を飾ってしまう、よく見せようとする「心のあり方」です。本当の自分ではない着飾った自分で神の御前に立ち、人にもそのように見られようとする。主は上辺で行う人々を偽善者だと戒め、そうあってはいけない、と私たちに教えておられます。主は私たちの心の深い部分まで知り抜いておられます。だとするなら私たちが主の御前で着飾ることは何の意味もありません。ダビデは、神の御前で上半身裸で喜び踊ってしまうほど着飾ることのない人でしたが、結果的に多くの人から尊敬される王となったのです。ありのままの自分で神の御前に立ち、「飾る心」を捨てましょう。

2.「張り合う心」を捨てる

人と張り合うことをやめましょう。「幼子のような者が一番偉いのです」「反対しない者は味方です」と弟子たちを戒められたイエスのお言葉には、張り合うことは愚かだという意味が含まれているのだと思います。またダビデは戦う人でしたが、張り合う人ではありませんでした。巨人のようなゴリアテに張り合っても勝ち目はありません。ダビデは、ただ主の御名のために、同胞のために自分に課せられた使命感で戦ったからこそ勝利を得たのです。私たちは目的や使命、問題のために戦わなければならない時があります。そのような時、誰かと張り合って勝ったり負けたりすることは全く無益であり、却って有害(心の病、殺人等)になることもあります。たとえ相手に負けたとしても、「張り合う心」を持たず、ありのままの自分で神の御前に立てばよいのです。私たちの神はありのままのあなたに目を留めて下さっています。

3.「力まない心」でいる

私たちの信仰は自分で力んで生み出したものでなく、神の御霊の働きによって始まったのです。それなのに自分の力でシャカリキになっては、御霊の働きを消して私たちが肉においてただの人として生きているということです。私たちが力んでも、却って信仰の足元をすくわれるだけですから気をつけましょう。ダビデは「自分が、自分が」とシャカリキにはなりませんでした。何かをする時には主に伺ってするのがダビデでした。そして成し遂げた時には、それを自分がやったとは言わずに全ての栄光を神に帰するのでした。私たちもダビデと同じように「心の姿勢」を整えましょう。そうすれば、感謝の心を持って主の御前を歩ませていただけます。そして主の恵みが私たちの人生の歩みの中に豊かに注がれます。

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