赦しの福音・キリストとの出会い

…姦淫の場で捕えられたひとりの女…イエスは…言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」…彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」        ヨハネの福音書8章1節~11節

姦淫、不倫…罪の中にあった一人の女性の人生が変えられました。キリストと出会ったからです。キリストと出会うとき、どんな人生も変えられます。

1.キリストとの出会い:さばきが消え去る

律法学者たちは、姦淫の罪を犯した一人の女性を石打ちの死刑にするよう訴えました。「あなたなら、こんな女をどうするか」と彼ら問いつめ、その答え次第でキリストをも訴えようとしていたのです。この世は、悪を手がかりに、人々を訴え、神をも訴えるのです。しかし、キリストは答えません。地に何かを書き続けます。それでも訴えをやめない人々に、イエスは立ち上がって言われます、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」。
姦淫の女を訴えた人々にとって「裁き」は他人事でした。しかし、キリストと出会うとき、罪と裁きは他人事ではなく、自分のこと、自分と神様とのことだと気づかされるのです。「あなたがたのうちに罪のない人がいますか?」、キリストの言葉に触れて、自分の内にも罪がある、他人を裁く権利などない、自分も裁かれる側にある者だと気づくのです。そして、人々は裁きの石を手離したのです。裁き合うこの世界が必要としているのは、このキリストとの出会いなのです。
姦淫の女を取り巻いていた騒がしい裁きの声は消え去りました。キリストの前では、裁く資格のない罪ある人間の言葉は全て消え去るのです。そして、私たちは、ただひとり罪を裁く権利を持つ方、キリストの前に立ち、その御言葉を聞くのです。
「わたしもあなたを罪に定めない。」

2.キリストとの出会い:罪をおおう

キリストと出会うとき、私たちは、赦しの言葉を聞くのです。赦しとは、罪をおおうことです。「めんどりがひなを翼の下に集めるように」、神は人々の罪をおおい、救おうとされていると、キリストは語りました(マタイ23:37参照)。当時の人々がしばしば目撃していた出来事です。火事などで納屋が焼けたあと、かわいそうに焼け死んだめんどりの翼の下から、生きたヒナたちを見つけるのです。めんどりが翼でヒナをおおい、命がけで助けたのです。そのヒナは、私たちのことです。キリストは、石打ちで殺されようとする女のそばを離れないで守られました。キリストは翼を広げるように、両手を広げて十字架にかかり、全ての人間の罪の裁きをその身に受け止めて、滅びの炎から私たちを守ってくださるのです。キリストと出会い、信じて、その翼の下に身を寄せるとき、私たちの罪はおおわれ、赦されるのです。

3.キリストとの出会い:生き方が変わる

キリストと出会うとき、罪が赦されるだけでなく、生き方が変わります。たった今、罪を犯したばかりの女にキリストは語ります、「今からは決して罪を犯してはなりません」。これは命令ではありません。福音です。自分はダメだと私たちがあきらめても、キリストはあきらめません。もう決して罪を犯さない人生に変えられると、私たちを励まして続けてくださるのです。そして、姦淫の女が変えられたように、私たちの生き方も変えられるのです。…キリストが地に何を書かれていたのか…、誰も知りません。しかし、確かに、キリストは十字架の血でこの地に書かれたのです、赦しの福音を。その地に、私たちは立っているのです。

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