よみがえりの主と出会って歩む

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。…御使いは女たちに言った。「…ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」…                           マタイの福音書28章1節~10節

イースターおめでとうございます。私たちも早朝から霊園に赴き、よみがえりの命を頂いて、神のもとで永遠に生きる者に変えられるという約束を、もう一度確認して祈りました。21世紀、文明は進み、私たちは長寿社会を生きていますが、幸福感の薄い時代となっています。それは、死んだら終りという世界で、今を楽しむ事しかできなくなっているからです。人生が終わっても続く、霊の世界に対する準備がなされないままでは、本当の幸福はないということを悟らねばなりません。今日の箇所で、イエスは死んだ後も、神の世界が開かれることを教えておられます。

1.ここにはおられません

主イエスは、もう死者の中にはおられません。イエスは神の御子、救い主ですから、私たちの罪の身代わりとなり、十字架にかかって下さっただけでなく、この人類の歴史の中で、ただひとり、死の力を打ち破って、よみがえられた御方です。主はここにはおられない、よみがえられたのです。死んだら終わりではないという新しい世界が到来したのです。イエスは生きておられるのです。イエスを信じるあなたの心の中のイエスも、2千年前に死んだままのキリストでなく、すべての挫折、すべての不可能、死の力さえ打ち破る、復活の主でありますように。

2.ガリラヤに先に行かれる主

イエスは弟子たちに「ガリラヤに行きなさい。そこでわたしに会えるのです」と言われます。ガリラヤとはどこでしょう。弟子たちが初めてイエスと出会った湖のほとりです。イエスが、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。今こそ神の救いが現わされる」と語った、あの最初の場所、彼らの故郷です。イエスはそこに行きなさい、先に行っているからと言われます。ガリラヤへ行くとは、私たちが復活の主に出会うことです。ペテロもヨハネも戸惑いますが、イエスは待っているよ、おまえたちが弟子になった、あの最初の日のように、今度は新たに聖霊の約束を授けようと言われたのです。イエスが死の力を打ち破られ、よみがえられたことは、救い主は今も生きて働いておられ、あなたの人生を先回りして、新たなクリスチャンとしての物語を作り出して下さることを意味します。イエスがあなたの人生を常に先回りして、導いて下さることを感謝しようではありませんか。

3.いつも共にいて下さる主

イエスは弟子たちに「そこでわたしに会える」と言われました。私たちはその所へ行かねばなりません。悩み、苦しみ、病気、途方に暮れる時、よみがえりのイエスに出会うと、一切は解決します。信仰の醍醐味は、イエスが、常に共にいて下さる人生を歩むことができるということです。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と言われる主は、生きて働き、導いて下さいます。弟子たちは、よみがえりのイエスと出会い、聖霊に満たされ、教会を生み出し、歴史を変えました。私たちも、よみがえりの主が共にいて下さいますから、この地上での人生を、神から与えられたプレゼントとして、喜び感謝し、賛美し、生き抜こうではありませんか。あとは主の御手にお委ねしましょう。イエスは、生きておられ、共にいて下さり、導いて下さる御方です。

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