神の子どもとして霊的に歩もう

…私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。                   ローマ人への手紙8章12節~16節

春爛漫で桜の花も満開になり新年度も始まりました。しかし自然界に反して、世の中は経済が停滞して不況の色が濃くなりつつあります。クリスチャンは、うまくいかないことを他人のせいにしたり人任せにしないで、しっかり神と共に歩み、イエスが私たちを愛し、恵みを与えて下さるのですから、自ら幸せな者、喜ぶ者になりましょう。
もともと私たちは弱い者です。しかし、大切なことは、イエスがその御心によって私たちを選び出し、私たちが生まれる前から私たちを愛して、ご自分の命まで注いで私たちを救って下さったこと。イエスの十字架の死からの復活により、その無限の可能性、不可能と見えることも打ち破ることができる力が私たちに与えられていることです。死んで終わりではなく神のもとで永遠の命をいただいて生きるという約束を信じましょう。御霊によって生かされ、よみがえりの力が私たちのうちにも働いているということを忘れてはなりません。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、…あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(ローマ8:11)
今日は聖餐式の礼拝です。私たちは、神の子どもとされ、新しい命・よみがえりの命で生きていることを確認しましょう。

1.肉的存在から霊的存在へ変えられている

人間には、姿かたちは同じように見えても、2つの生き方があります1つは、生身の人間のままで神を知らない肉的な生き方です。命を保つための欲求は当然あります。しかし、そのまま生きるとコントロールを失い、野生化する恐れがあるから気を付けましょう。人は神によって造られたので、霊的なものに対する思いや残像が心の中にあります。「お化け」を怖がったり、死んだ後どうなるか不安になったりするのです。それで、自分に都合の良い偶像を作ったり愚かな占いや間違った宗教に走ったりします。
もう1つは、御霊による霊的な生き方です。常に神のみこころは何か、神が私たちに求めておられるものは何かと、神を意識して生きていきます。そして、イエスがなさったように憎しみではなく周りのみんなを愛し、奪うのではなく与えていくのです。

2.奴隷の状態から神の子どもとされた事実

奴隷というのは、拘束、苦役、恐怖、痛みだけの生活です。しかし、神の子どもとされたということは、神の愛をいただき自由と特権が与えられているのです。今の世の中には、自分は自由だと言う人がいますが、自由を何に用いるかが問題です。アダムが神から命を与えられてから21世紀の今日まで、自分の命で誰かに仕え働くことが、幸せになるための基本にあります。では、特権とは何でしょう。神の後ろ盾、応援、保証です。神が常に私たちを心配して下さり、折にかなった神の助けがあり、アドバイスがあり、常によきものが父なる神から与えられます。私たちは、神を「アバ、父」と呼びます。当時パレスチナで父親に対する親しい呼び方で「お父さん」とか「お父ちゃん」という意味です。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(14節)
クリスチャンとしての基本的な生き方を思い、神と共に歩み、救いの恵みを充分にいただいて、「恵みと平安が注がれる一年」となりますように。

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