長引く病からも癒してくださる主

…ベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。…」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。…             ヨハネの福音書5章1節~9節

インド伝道へのお祈りを感謝します。30年に亘るインド伝道の中で、時代に伴う変化も確かにあります。しかし、癒しを求めて多くの人々が集会に集まり、主が人々を救い、癒して下さるという、変わらない主の恵みと御業があることに感謝したいと思います。今回の伝道では、何年もの間、病に苦しんでいた方々が、イエスの御名によりその場で癒されました。今朝の礼拝の中で私たちも何年もの間苦しんできた病、悩みから癒されましょう。
今日の聖書箇所には、ベテスダの池の回廊でのイエスの癒しが記されています。当時、この池には特別な癒しの言い伝えがあり、大ぜいの病人が回廊に伏せっていました。その中でイエスは、一番長く重い病と思える人に目を留めて下さったのです。私たちもどんなに長く病で苦しんだとしても、主が癒して下さることに感謝しましょう。

1.主は私たちに近づいて下さる

私たちには弱さ、足りなさがあり、やっかいな問題は避けたくなります。私たちには限界がありますから、向き合うべきものは当然選ばなければなりません。しかし主は、ご自分の救い主としての御業の中で最も長く苦しみ続けた人に近づいていかれたのです。当時の医学では手に負えない病人、家族に捨てられたような人々であることを全てご存知で、その中でも最も重病の人に近づいて下さった恵みに感謝したいと思います。あなたが人生でどのような困難な事情を抱えていようと、あなたの全てをご存知の上でなお、あなたの辛さのただ中にイエスから近づいて下さることを感謝しましょう。

2.よくなりたいのか

「よくなりたいのか」(6)とイエスは簡潔な問いかけをこの病人にしました。この問いかけに病人は、愚痴、不満、言い訳を言うばかりで、「よくなりたい」という本心を忘れてしまったような有様でした。「よくなりたい」という思いでこの池に来た病人でしたが、月日が経つうちに心が歪められてしまい、当初の気持ちを忘れてしまう哀れな姿がありました。しかし、主のお言葉により、病人の心は癒されました。私たちは、自分の気持ちを大切にしてほしいというのではなく、イエスのお言葉に耳を傾けましょう。あなたの事情を主は全てご存知です。自分の状況を説明するのではなく、イエスの「よくなりたいのか」という問いかけに、「はい、そうです」と素直に答えましょう。

3.起きて、床を取り上げて歩きなさい

2つ目の、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」(8)というイエスの簡潔なお言葉によって、何年も治らなかった病人が瞬時に癒されたのです。兄弟姉妹、何年もあなたを苦しめたものがあっても恐れてはなりません。彼自身の力では38年は無駄になったのです。しかし、イエスの言葉によって瞬時に癒されました。自分の言葉や周りの人の言葉、世の中の法則だけに頼るのではなく、今日はイエスのお言葉に頼りましょう。インドでも、長年の病から、その場で癒されたのです。今日、この場所でもすぐに何年もの不自由、病から癒されることが可能です。イエスのお言葉に耳を傾けましょう。あなたの何年越しもの病が癒されることを信じます。今週も癒し主のイエスと共に歩んでまいりましょう。

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