いつも、いつまでも、共におられる主

…イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
   マタイの福音書28章16節~20節、ヨハネの福音書14章16節

イースターおめでとうございます。
イースターは、イエスが死から蘇えられたことを祝う聖日です。イエスは、救い主としてこの世に来られただけではなく、罪の無い御方でありながが、十字架の上で私たちの罪のために身代わりとなって刑罰を受けて死んで下さったのです。けれど神は、御子イエスを死んだままでは終わらせませんでした。死の力を打ち破る命を与えられ、イエスは3日目に死から蘇り、復活して下さいました。そしてイエスご自身が証明して下さったことは、私たちが死んで、涙の別れで永遠に終わってしまうのではなく、私たちの存在の締めくくりは、神と共にある永遠の命へと繋がるということです。
主の十字架の死と復活により、私たちの存在が、死で終止符を打たれるのではなく、永遠に生きる命を与えられたのです。ですから、クリスチャンたちは、イエスが十字架で私たちの罪を潔めて下さり、死から蘇って下さったことにより、私たちの命にも死の向こう側に死を超える命があるのだと確信し、2千年間に渡り永遠の命を喜び、イースターを祝い続けているのです。ですからクリスチャンの歴史を振り返ると、どんな試練の中にあっても喜びの歴史となっているのです。あなたにも永遠の命が与えられているのです!この事実を心から感謝しましょう。
そして、イースターを私たちがここまでお祝いするのは、イエスがご自分の命を捨ててもいいほど私たちを愛して、永遠の命まで与えて下さったからにほかなりません。聖書は本物の愛を私たちに伝えています。この本物の愛を心に刻み込みましょう。
残念なことに、私たち人間は、誰も真実の愛を持ち合わせていません。愛情があるふりをして、罪を野放しにするような世の中の風潮があります。私たちはそういう時代だからこそ、このイエスの愛を聖書を通して学び、受けとめ、自分のものとしたいのです。今日の聖書箇所ではマタイの28章20節と、ヨハネの14章16節に特に注目し、クリスチャンの信仰の真髄となる2つのことを確認したいと思います。

1.主はいつも共にいてくださる

24時間、四六時中、私たちの意識があろうとなかろうと、主が共にいて働いて下さることを感謝したいと思います。蘇りの命を与えられた主が言われる「いつも」ですから、本当に、どんな時も、ということになります。イエスを信じる信仰が素晴らしいのは、イエスがいつも共にいて下さるからです。私たちがたとえイエスのことを忘れたとしても、イエスは私たちを守り、伴って下さり、一緒にいて下さる、だから私たちはどんな状況でも大丈夫なのです! 常に守られ、助けられ、導かれていることを喜びましょう。

2.主はいつまでも共にいてくださる

そして主イエスが、聖霊によって 「いつまでも」共にいてくださることを感謝しましょう。「いつも」ということが「今」を確実に感じさせると同時に、「いつまでも」ということ、それは未来、将来に向かって絶えることのない約束という意味合いがあります。
私たちの「いつまでも」は、時間とともに色褪せてしまいがちです。けれど、イエスの愛は「いつまでも」続く、永遠に続く愛です。「いつも」「いつまでも」私たちとともにいて下さる神に感謝しましょう。

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