主と共にあるいやしを受け止める信仰

…群衆の中から、ひとりの人が叫んで言った。「先生。お願いです。息子を見てやってください。ひとり息子です。ご覧ください。霊がこの子に取りつきますと、突然叫び出すのです。…なかなか離れようとしません。お弟子たちに、この霊を追い出してくださるようお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。」イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。あなたの子をここに連れて来なさい。」                ルカの福音書9章37節~41節

実りの秋を迎えました。恵み豊かな神は、神を礼拝し、歩み始める1週間を本当に祝福して下さいます。今日も癒しの恵みをいただいてまいりましょう。悪霊につかれたひとり息子を持つ父親が、助けを求めて群衆の中から叫びました。お弟子たちに、この霊を追い出して下さるようお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。イエスは嘆いて、そこに集まった群衆と弟子たちに、こう言われます。「ああ、不信仰な曲がった今の世だ。いつまであなたがたと一緒にいて、あなたがたに、がまんしていなければならないのでしょう」、今日は、この41節の御言葉をしっかりと受け止め、もう一度、信仰の姿勢をはっきりとしたいと思います。

1.癒しの御業は主イエスと共にある

この父親は、子どものことを心配し、偶像、占い、人の力、真の神…一生懸命でした。弟子たちに祈ってもらっても、癒されませんでした。本物の癒しの御業は、主イエスと共にあります。聖書は、イエスは父なる神の完全な啓示、神の現われだと語ります。だから、どんな癒しも、悪の力の解放も、すべての祝福は、主イエスと共にあるのです。私たちは、人の顔色を伺ったり、人に頼ったり、人のせいにしたりする弱い者ですが、人ではなく、イエスに集中し、私の癒しは、主と共にあると、信仰の姿勢をはっきりとさせましょう。

2.イエスに喜ばれる信仰を持とう

「ああ、不信仰な今の世だ」。イエスは、祈って癒されなかった弟子たちの信仰、人々の心、信仰のありかたを嘆かれました。2千年経った今を生きる私たちは、愛と救いの力、癒しの恵みをもって、イエスがこの世に来て下さっているのに、神を信じる以外に、
人間的に当てにできるものが多く、不信仰がもっと深刻になっているのかもしれません。では、私たちがイエスの前に立つ時、あなたの信仰は立派だと言われるには、どうしたら良いのでしょうか? 大きな3つの鍵があります。
 1.御言葉に立つ―イエスの御言葉をそのまま下さいと頼んだ百人隊長は、すぐにしもべの癒しをいただきました。「あなたの御言葉は、わが足のともしび、わが道の光です」と聖書が語るように、御言葉に立ち、御言葉をいつも告白する信仰を持ちたいと思います。御言葉は神の御約束です。信頼しましょう。
 2.神はどんなことでもできると信じる―信仰は、神にはどんなことでもできると信じることです。祈る時、心の中で、できないだろうと決めつけると、悪魔の思うつぼです。神にはできると信じましょう。
 3.常に神への感謝、栄光をお返しする―どんな素晴らしい祝福に与ろうと、すべての栄光は神のもの、主を崇め、礼拝し、栄光をお返ししましょう。10人のらい病人が癒された話では、神に栄光をお返しし、感謝するために戻って来たのは、わずか1人でした。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではいけません。この3つのことを胸に刻み、信仰を持って、神の前に立つ者でありたいと思います。
イエスに受け入れられる、シンプルで素朴で、純粋な素直な信仰を働かせましょう。恵みを与えようとする神、それを素直に受け止めようとする「私」がいるところに、神の素晴らしい御業が起こります。

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