全てを受け止められる神との出会い

すると彼の妻が彼に言った。「…神をのろって死になさい。」しかし、彼は彼女に言った。「…私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」…ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること…を、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。…私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。            ヨブ記 2章9~10節、42章1~6節

確かに、世にあっては患難があり、わざわい、苦しみがありますが、それを恐れて逃げていては、ますますわざわいと悪魔は追いかけてきます。しかし、神に近づき、悪魔に立ち向かうなら、神様は私たちに近づいてくださり、悪魔は逃げ去ります。では、どのように神に近づき、悪魔に立ち向かうのでしょう?

1.主をあがめ、讃美で立ち向かう

わざわいの背後に働く悪魔の狙いは、私たちが神を呪うようになることです(1:11)。ヨブの妻はまんまと悪魔の罠にはまったのです。しかし、ヨブは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と讃美して、わざわいをも受け取る信仰で悪魔に立ち向かったのです。私たちも、わざい、苦しみの中でも、主をあがめるのです。讃美で立ち向かうのです。絶望の底に沈みそうな時にも、神を待ち望み、「私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を」と讃美するのです(詩篇42:11)。義のために苦しむことがあっても、動揺しないで、むしろ、心の中でキリストを主としてあがめるのです(Ⅰペテロ3:14-15)。キリストのために、信仰だけでなく、苦しみをも賜った、贈り物としていただいた、と感謝して讃美することができるのです(ピリピ1:29)。

2.二倍の祝福を受ける

ヨブは前半生で得ていた家畜や財産を、全て苦しみの内に失います。しかし、苦しみを経て、彼の後半生は、全てが二倍にされる祝福を受けます。苦しみに会って失ったものを何とか元通り取り戻せるだけでも、普通ならラッキーでしょう。しかし、主は、失う前よりも、苦しみに会う前よりも、はるかに良くしてくださるのです。もっと豊かになり、素晴らしくなる、二倍の祝福を受けるのです。ですから、私たちも詩篇の作者と共に「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」(詩篇119:71)と言えるのです。

3.苦しみの中で主と出会い、変えられる

ヨブは、わざわいと苦しみの中で、主と出会います。それまで、うわさを耳で聞くように、間接的に知っていたつもりの神様を、「今、この目であなたを見ました」と言える出会いをヨブは体験します。そして、苦しみを通して、ヨブは、わかったつもり、正しいつもりでいた自分の思い込みを木っ端みじんに砕かれます。自分を義とし、神を罪に定める罪を示されて(40:8)、ヨブはちりと灰の中で悔い改めます。
義人がなぜ苦しむのか? いえ、義人はいない、ヨブもそうです。あんな罪人が苦しみに会うのは分かるが、自分のように正しい者がわざわいに会うのはおかしい、神様の方が間違っている、などと言える人は誰もいないのです。しかし、ただひとり罪なき正しい御方が、私たちの罪のために、史上最大の苦しみとわざわいを受けられた、それにより、最も大きな、本物の、永遠の幸せが、この世界にもたらされたのです。このイエス・キリストの十字架を、私たちは信じる者です。だから、私たちも、この主にあって、幸せも、わざわいも、全てを受け止めて生きることができるのです。本当に主と出会うなら、そのように変えられるのです。そして、私たちは、キリストのからだである教会で、主と出会うのです。そこに全ての答えがあります。主がおられるから、神との出会いがあるから、全てを受け止めて生きられるのです。

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