神の愛に気づいて

宣告。マラキを通してイスラエルにあった主のことば。「わたしはあなたがたを愛している。」と主は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか。」と。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。――主の御告げ。――わたしはヤコブを愛した。
                       マラキ書1章1節~2節

文字通りの夏を迎えていますが、私たちは神と出会い、神とふれあい、神と豊かに交わることのできるそんな夏の日を過ごしていきたいと思います。
今日はマラキ書から神はどのように私たちを愛して下さっているのか、私たちはその神の愛にもっと気づきたいと思います。3つのポイントで神の愛をもっと理解し、そしてその神の愛を心に響かせる私たちでありたいと思います。

1.こんな私でさえ愛して下さる神の愛

神は私たち一人ひとりに同じ愛を注がれています。しかし、エサウを憎んだと、なぜ神はこのような言葉を用いて私たちに語りかけているのでしょうか。それはエサウを憎むという感情を神が持っているということではなく、あえてヤコブを愛するということを神は教えるためにこの言葉を用いているのです。この言葉をもって神はご自身の愛を私たちに示して下さっています。ヤコブの方が愛されたのですが、彼は決して愛されるキャラクターではありません。そんなヤコブが愛されたというのは、私たちも神に愛していただけるという証しです。私が特別に愛されているとしたら私が何かをしている、何かできるということではなく、こんな私でも愛されているということにおいて、私は特別に神に愛されているのです。

2.とことん忠実で徹底的な神の愛

神の愛は徹底的な愛で、私たちに対して忠実な愛です。エレミヤ書31章3節には、「永遠の愛をもって、あなたを愛した。それゆえわたしはあなたに誠実を尽くし続けた」とあります。永遠とは時間だけの問題ではなくて、無限であること、そして人の小さな秤では計りきれないもの、それが永遠です。神の愛は私たち人間では計り知れないほどに大きな愛であり、その愛をもって神はこの私たちに誠実を尽くし続けて下さるお方です。アブラハムは、自分の大切な宝であるイサクを神に捧げようとするほどに神に忠実でした。でも私たちはそれ以上に忠実である神の愛を知っています。神がそのひとり子を私たちに与えて下さるほどに忠実であったから、私たちは神の恵みの中を生きることができます。神ご自身のひとり子の命と私たちの命とを秤にかけて下さる。偉大な神がこの私たちを忠実に愛して下さった。徹底的に本当に忠実な神の愛です。

3.決して見捨てず、共にいて下さる神の愛

エサウが受けるべき祝福を奪い、彼から逃げるヤコブ。日が沈み、石を枕にして仮眠を取った時、彼は夢を見、その夢で神がヤコブに語りました。私はあなたに約束したことを成し遂げるまで決してあなたを捨てない。これには二つの意味があります。約束は必ず成し遂げられるという意味。そして文字通り神は決してヤコブを捨てないという意味。そして神は、この私たちにも同じように語って下さる。わたしは、あなたに対する約束を必ず成し遂げる。それまでは決してあなたを捨てない。神が私たちに約束しておられる究極的なものは神の国、天国です。私たちがその天の御国に入るその日まで、神は、私たちがこのヤコブのような人であっても、この私たちと共にいて決して見捨てないで私たちをそこに導いて下さるお方です。私たちはこの愛をしっかりと心に響かせて歩む者でありたいと思います。

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