主のみことばにとどまる恵み

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。…わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。   ヨハネの福音書15章7節~13節

讃美歌の「山路こえて」という曲の作者は、松山城南高校の初代校長となられた、西村清雄先生です。宇和島伝道の帰り、大洲までは、まだ5里(20㎞)もある峠で日が暮れ、心細くなり、讃美歌の1節1節の歌詞を作る中で、先生の心の中から心細さが消え、その旅路が神の恵みに満ちたものになったという話が残っています。後に松山名誉市民の称号も受け、キリストにある生涯の実を結ばれました。私たちの人生の旅路も、心細く辛い事があっても、神と結び付いていれば、豊かな恵みに満ちた、楽しい旅路に変えて頂けます。私たちも主にある人生の実を結んでいく者でありたいと思います。今日の箇所には「とどまる」「実を結ぶ」という2つのキーワードがあります。ここから3つの事を共に学びましょう。

1.福音の言葉にとどまろう

神の言葉にとどまるとは、福音の言葉にとどまるということです。ヨハネ福音書は唯一、福音を「ことば」と表現しています。福音とは、パウロが語っているように、キリストが私たちの罪のために十字架にかかってくださり、葬られ、3日目に甦り、使徒たちに現れ、私たちに永遠の生命を与えてくださったことです。パウロは、月足らずで生まれた私にも現れてくださったと語ります。そして、罪深く、醜くて弱い私たちにも現れてくださいました。これが福音です。福音は信じる者に、救いを得させる神の力です。だから、福音の言葉にとどまることを意識しましょう。

2.主の愛にとどまろう

9、11、13節にあるように、主の言葉は、福音の言葉と同様に愛の言葉です。預言者イザヤを通して「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)と語り、エレミヤ31章でも「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」と語ります。私はあなたを愛していると一番に語ってくださる神です。ヨハネ3章に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」とあるように、無限の愛の結晶として、御子キリストを遣わし、値打ちのない私たちのために、命まで捨てて、その愛を示してくださったのです。イエスは、わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛しなさい、と語ります。私たちもそうしたいと願いますが、口で言うほど、易しくはありません。だから、愛そうとする前に、大きな主の愛を、心にしっかりととどめたいと思います。イエスの愛の中にとどまると、互いに愛し合える者とされていきます。意識して、愛の言葉をしっかりと心の中にとどめましょう。

3.多くの実が結ばれる

コロサイ3章に「愛はすべてを結ぶ帯なのです」とあります。では、愛は何と何を結び付けるのでしょうか? それは、神の御国とこの地上です。愛が、天国を私たちのただ中にもたらすのです。神の御心は、罪人の私たちを赦すことです。私たちを縛っている、否定的な思いや感情、困難、不幸、苦しみから解放することです。病から癒やされることです。神の御心と愛の言葉、福音の言葉にとどまると、自分の努力ではなく、赦し、解放、癒しが現され始め、互いに愛し合うようになります。伝える業、仕える業に熱心な者にされていきます。愛の言葉、福音の言葉の中にとどまると、多くの実が結ばれていくのです。まず、イエスとの愛の関係から始めましょう。

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