理由

主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた(箴言16:4)。主は…忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです(Ⅱペテロ3:9)。なぜなら神は愛だからです(Ⅰヨハネ4:8)。義人はいない。…すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、価なしに義と認められるのです (ロマ3:10,23-24)。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです(ヨハネ14:19)。                    箴言 16章4節 ほか

主はすべてのものを目的をもって造られました。すべてのことには理由があるのです。

1.神が愛だから

悪者さえもわざわいの日のために造られました。悪はやがて神が正しくさばかれる日のために一時的に存在しているにすぎないのです。悪による悩み苦しみはいつまでも続かず、やがて終わる時が来ます。これは大きな慰めです。しかし、なぜ主はもっと早くさばいて、この世界から悪をなくしてくださらないのでしょうか。理由があります。神が愛だからです。神は、罪人も悪人もひとりも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むのを忍耐深く愛をもって待っておられるのです。誰もが救われ、永遠のいのちを持つために、ひとり子イエス様を与えるほどに、この世界を愛しておられるからです。罪と不信仰の世界が滅ぼされないでいるのは、神が愛だからです。ヨナ書において、罪に満ちたニネベの町が滅ぼされなかったのは、神がニネベの12万もの人々を惜しまれ愛されたからです。そして、ニネベの人々は悔い改めたのです。神の命令に背いて嵐の海に投げ込まれたヨナが大きな魚に救われたのも、同じです。神がヨナを惜しみ愛されたからです。この世界のすべてのものが存在しているのには、理由があります。神が愛だからです。愛される理由も資格もない罪人の私たちを、神はなぜこんなにも愛してくださっているのでしょう。それは、神が愛だからです。

2.神の恵みがあるから

「義人はいない。ひとりもいない」のです。神の目から見て「正しい」と言える行ないも、信仰も、私たちにはありません。しかし、神の恵みがあるのです。だから、私たちは義と認められ、救われるのです。エズラは、「私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに」と祈りました(エズラ9:15)。主が私たちの不義に罪に目をとめられるなら、だれも神の御前に立つことなどできません。しかし、主の赦しがあるから、神の恵みがあるから、私たちは神の御前に立つことができるのです。こうして、私たちが神の御前に立って、祈ることができる、礼拝することができる、それは、奇跡です。ありえないことが起きているのです。神の御前に立てるはずのない者が、今、神の御前に立っている、明日も、御前に立つ、やがて、永遠に、天の神の御前に立つのです。神の恵みがあるからです。

3.すべてに理由がある

喜ぶのには、理由があります。私たちの名が天に書き記されているから(ルカ10:20)、信仰の結果である魂の救いを得ているからです(Ⅰペテロ1:9)。讃美するのには、理由があります。主の栄光が大きいからです(詩篇138:5)。私たちには乏しいことがありません。主が私たちの羊飼いだからです(詩篇23:1)。主の山には備えがあるからです(創世22:14)。 なぜ、生まれつき目が見えないような、そんな不幸や悲しみが、この世界にあるのでしょう。誰のせいでしょう。理由があります。神のわざが現われるためです(ヨハネ9:3)。私たちが生きるのには、理由があります。主が生きておられるからです。こんなに素晴らしい神様がおられるからです(ヨハネ14:19)。

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