キリストには“できる”と信じる信仰

イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」と叫びながらついて来た。…イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか。」と言われると、彼らは「そうです。主よ。」と言った。そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい。」と言われた。ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。 マタイの福音書9章27節~31節

この教会は、60年前、万代恒雄牧師が、福音を宣べ伝えようと、みかん箱の上に乗り、路傍伝道から始め誕生しました。当時、伝道するお金も献金もありませんでしたので、皆さんとバザーを始め、以来、今日まで、伝道のための献金を生み出し続けています。今年も、この働きを立ち上げ、私たちの教会に刻み付けられている信仰を、更に整え、活かしたいと思います。今年も私と一緒に、御奉仕ください。御一緒にこの働きを立ち上げていきましょう。
週報にも書きましたが、大いに期待して買った愛媛県産の「せとか」入りの炭酸飲料が、果汁わずか1%で、がっかりしました。しかし、同時に、クリスチャンである私のイエス様は何%?と考えさせられました。パウロは「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2章)、100%と告白しています。中世の聖人、フランチェスコも、歴史上、キリストに最も近づいた人物と言われました。この2千年の間、クリスチャンがキリストに似た者とされているかは、大きなテーマです。
この癒しの礼拝で、この盲人の癒しを通して、自分のイエス様は何%か、心を探り、神の恵みを引き出すには、どうすればよいか考えてみましょう。

1.イエスの御心に通じる信仰とは何か?

イエスが「あなたの信仰があなたを直した」と認める信仰は何でしょうか? 二人の盲人は、イエスが来ると大声で「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて行きます。ここで、自分自身が求めないと癒しの恵みは起こらないということが判ります。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と問われると、「そうです。主よ」と答えています。イエスは彼らの目に触って「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われ、癒されました。このことから、イエスが二人の盲人に求めていた信仰は、非常にシンプルで、ただ「イエスにはできる」と信じることだけだと判ります。私たちの努力ではなく、イエスを100%の救い主、癒し主と信じることです。主は「だれでも、この山に向かって、動いて海にはいれと言って、心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」(マルコ11章)と語っています。主が求めておられるのは、疑わないで信じる信仰です。イエスとの関係、信頼の深さです。どこまでもイエスを信じる者となりましょう。

2.その信仰の具体的な中身は?

あなたの信じているイエスは、聖書の中のイエスの何%でしょうか? 現代人の知識によって、イエスを薄めてしまっていませんか? 世の中では、自らクリスチャンと言いながら、主の癒しも、十字架の贖い、死の力を打ち破った復活も信じないクリスチャンが、沢山います。そうであってはいけません。祈っても癒されない大きな原因は、祈られても治らないと信じているからです。不信仰でイエスを受け止めると、その通りになってしまいます。自分の理屈や常識でイエスの働かれる場所を狭めるのではなく、聖書の語る通りのイエスを、イエスは何でもできると、信じ受け入れることです。子どもの頃、「何でもできる、私のイエス様…」という讃美歌があり、皆でよく讃美しました。この盲人のように、シンプルに、100%のイエス、イエスにはできると信じましょう。聖書の御言葉通り信じること、それが勝利の秘訣です。

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