春の日々にキリストのかおりを放つ

…神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。私たちは、…真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。           コリント人への手紙第二2章14節~17節

神が与えてくださった春に向かう日々を大切にし感謝して前進しましょう。今の日本は、臭いに敏感な時代になりましたが、今日、この3月の聖餐式の礼拝にあたり、私たちはクリスチャンとして放つべき「キリストのかおり」があることをもう一度思い起こしましょう。パウロはここで、私たちは「キリストのかおりを放つ者」であり、それが、凄まじい恵みをもたらす「かおり」であり、生死にまで関係するような「かおり」を放つ存在、それがクリスチャンであると記しています。私たちは、「イエスを内に宿す者だ」と告白しますが、イエスが内におられるなら、内におられるイエスの効果が様々な事柄に出てくるのです。今イエスの御前に座っていますが、兄弟姉妹、あなたの心の内側から「キリストのかおり」が香り立っているでしょうか? 人生の辛さ、重苦しさ、不機嫌でいやな雰囲気しか香り立っていないとすれば、それは残念なことです。春の季節に「キリストのかおり」をあらゆるところで放てるようにと祈りましょう。イエスが共におられるなら「私たちはキリストのかおりを放つ者となる!」ことをはっきりと信仰によって意識していきましょう。ここで3つの事を確認したいと思います。

1.キリストのかぐわしいかおり

かおりと臭いは、科学的には同じでしょうが、「臭い」と言うと、悪いイメージもあるのですが、「かおり」には良いイメージが湧きます。聖書では「かぐわしいかおり」(15)、嗅ぐだけで、人々の心が平安、喜びに結びつくような幸せな「かおり」を私たちが放つことができると記されています。クリスチャン生活は、教会にいる時だけでなく、いついかなる時にも「キリストのかおり」を放ってほしいと思います。あなたの雰囲気が人々に伝わる時、キリストの恵みのかぐわしさ、キリストの救いの麗しさ、キリストにある信仰の喜ばしさが自然と香り立つものでありますように。

2.いのちと死を分けるかおり

あなたの心の中に「イエス・キリストはただお一人の救い主です!」この信仰の告白が明確にあるようにしましょう! キリストは、私たちの魂を天国にまで、永遠のいのちにまで導き入れてくださる唯一の救い主であられます。この方から放たれている「かおり」を受け入れるか拒否するかによって、「いのち」か「死」かという生死まで分けるのです。私たちの魂、霊が神の御元で永遠の安息を得られるか、地獄の滅びの中に陥るかの決定的な差を生む「かおり」なのだということを知りたいと思います。

3.キリストのかおりを放つ者となろう

16節の「いったいだれでしょう」とは、すなわちあなたがた一人一人が皆そうではないかと語りかけているのです。聖書のお言葉は、語りかけられた者には応答することが求められています。この「キリストのかおり」、「かぐわしいかおり」でありながら、人の運命に関わる「かおり」さえ放つことのできる存在、主のしもべ、証し人として生きる者は誰なのか、と語られた時に「はい、主よ、私です」と答えましょう。信仰生活は他人事で終わらせることはできません。あなたが当事者なのです。だから各々自分自身が「キリストのかおりを放つ者として歩みます」と信仰によって応答する者でありたいのです。この春、私たちは「キリストのかおり」を放って前進してまいりましょう。

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