信仰によって背負うべきもの

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。                  テモテへの手紙第一2章4節~7節

世の中は新型コロナウイルスの話題で大変です。健康には十分気を付けなければなりませんが、私たちは、礼拝を守り続けたいと願っています。2000年のキリスト教会の歴史は、戦争や迫害、飢え、飢饉がありながらも、クリスチャンたちは集まってイエス様の御名をほめたたえ続けてきました。自分が病気にかかったと思ったら、拡げないようにすることは大事ですが、恐れながら生きていると、悪いものを引き寄せてしまいます。最高の免疫力は、イエス様のいやしの力によって元気が与えられることです。
最近は世の中がドライになり、他人の思いを気にしない個人主義的な生き方が広がっています。一見、楽で都合がよさそうですが、いき過ぎると人とのつながりが希薄になり、家族もどんどん小さくなって、親子や夫婦の絆さえ断ち切られてしまいます。そんな中で、最近テレビで見たオリンピックの選手選考の記者会見が印象に残りました。監督は、紙一重で選ばれなかった選手たちの思いを受け止め、選ばれた選手と共に国民の期待を背負って戦う覚悟を示しました。クリスチャンである私たちも、喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣く神の家族です。主にある兄弟姉妹との関係性の中に生きることで、命の感動や生きがいがあることを忘れないようにしましょう。
自分の思いや感情ばかりの狭い世界が、聖書の語る信仰ではありません。今日の聖書個所でパウロは、本物の信仰とは、神様と私たちの間にある関係性の中で生まれることをテモテに語っています。

1.神様との関係

神様は、私たちが心の中で自分勝手に作る存在ではありません。天地宇宙を造られた創造主なる唯一の神様がおられ、私たちに語り、働きかけてくださいます。私たちの命は、神様が与えてくださる御言葉の真理をいただくことによって、救いを受けることができるのです。

2.救い主イエス・キリストとの関係

勉強をして、神様を分かったつもりになることが信仰ではありません。私たちを救う信仰とは、神様と人を結びつける唯一の仲介者であるイエス・キリストによってなされた業をいただくことです。イエス様が、ご自分の命を全ての人を救う贖いの代価として捧げてくださったことで、私たちは救われたのです。

3.信仰の先輩たちとの関係

2000年にわたって、どんな迫害や困難があっても御言葉を証しすることをやめなかった初代教会の使徒たちや、伝道者、牧師、先輩であるクリスチャンたちがいました。彼らによって語られた御言葉によって、私たちは救われたのです。
私たちが罪人で、まだ救い主が来られた意味すら分からなかったときに、まずイエス様は、十字架でご自分の命を捧げてくださり、その死を通して、神様は私たちへの愛を示してくださいました(ピリピ2:6~8、ローマ5:8参照)。主が、私たちの罪を背負ってくださったことを感謝します。天地宇宙を造られた偉大な神様の愛、御子であるイエス・キリストの愛、御言葉を伝えてきたクリスチャンたちの愛、私たちは、たくさんの愛と恵みを背負っています。その愛を無駄にせず、歩んでまいりましょう。

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