イエスを振り向かせる信仰

…ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、…娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」イエスが立って彼について行かれると…十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。…イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「…あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。イエスはその管理者の家に来られて、…少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。
                        マタイの福音書9章18節~26節

マタイ、マルコ、ルカの福音書は共観福音書と呼ばれ、共通の物語が多く記されています。ですが、著者達は同じイエスの事を見聞きしながらも、受け止めた事にも、伝えたい事にも違いがありました。神はその違いを通し、私達に様々な事を教えようとされています。
今日の箇所には、会堂司ヤイロの娘が生き返った話と、長血を患っていた女が癒された話、2つの物語が記されています。これらには、マルコ、ルカの記事と明確な3つの違いがあります。今日は、この違いがある事を踏まえてお話しします。

1.大胆にイエスに近づく

私達は遠慮なく主に近づこうではありませんか。長血を患っていた女は、イエスの後ろに来て衣のふさに触ったのです。マルコでは、「彼女が群衆にまぎれこんで触った」と記されています。それは、彼女がこっそりと触ったという事を意味しているかもしれません。しかし、マタイは、群衆に紛れ込んだ事を記していません。彼女はもっと直接的に、勇気を持って大胆にイエスに近づいたのです。22節に、イエスは振り向いて…、とありますが、これは振り向かされたのであって、つまり彼女の能動的な行動がイエスを振り向かせたのです。ヤイロは、死んだ娘の生き返りを求めてイエスの御元にひれ伏しました。なんと大胆なイエスへの近づき方でしょう。私達も大胆に恵みの御座に近づく者になりましょう!

2.イエスが関わろうとしてくださる

マタイは、他の福音書よりも登場人物を少なくして、物語の焦点を、イエスとヤイロ、そして長血を患っていた女に合わせています。またマルコ、ルカでは、女は衣のふさに触った瞬間、癒されたのですが、マタイでは、イエスが彼女を見て、声をかけた時に彼女は癒されたのです(22節)。イエスが言葉を持って関わってくださった時、彼女は癒されました。
この後、イエスはヤイロの家へ向かいます。そこに集まっていた群衆をイエス様は見ましたがが、それは、ただ認識した程度の事にすぎません。一方、長血を患っている女には、深い眼差しを向けて関わられたのです。このように、イエスは、近づこうとするあなたを見て、あなたに関わろうとしてくださいます。イエスが私達一人一人と深く関わってくださる恵みに感謝しましょう。

3.イエスの可能性を信じる

私達の願いは、いつも思い通りに叶うわけではありませんが、でもそれは、御心に適っているか否か、神の時なのか、まだ時でないのか、神がそれを成さるのか、成さらないのかであって、できるか、できないかではありません。神には不可能な事はないのです。けれど、私達は期待した事が叶わないと諦めてしまいがちです。でも、ヤイロも、長血を患っている女も、イエスの可能性を信じました。イエスは、私達にもっとイエスの可能性を信じる事を求めておられます。
私達は死を打ち破られた御方の手の中にある可能性を信じて歩む時、神の御業に与かる事ができ、何があっても全てを神にお任せして歩んでいく事ができる、大きな喜びと平安に包まれていく事ができる事に感謝しましょう。

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私たちのために一歩踏み込まれる主

イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家にはいられた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。      マルコの福音書1章29節~31節

10日ほど前にインド伝道から日本に戻り、先週は、日光での断食祈祷聖会に講師として出かけました。そして今週の後半からは、メトロワールドチャイルド(子ども支援)の視察のため、ケニアへ向かいます。確かに日々忙しく動き回ってはいますが、どこに行こうとも、何をしていようとも、私はイエス様が共におられるということを体験したいと願っています。クリスチャンである私たちは、イエス様が共におられて御業が現れるということを、もう一度思い起こしましょう。この朝は、イエス様がどのようなお方なのか、聖書を通して学んでいきましょう。

1.主は自ら近づいてくださるお方

今日読んだ箇所は、救い主イエスとしての働きを始められた直後の出来事です。イエス様は、ペテロの義理の母が熱病で苦しんでいると聞き、彼女に近寄ってくださいました。これって、素晴らしいことだと思いませんか? 天地宇宙の創造主である偉大な神の現れであるイエス様が、私たちのところへ、ぐいっと近づいてくださるのです。苦しむ私たちを見捨てず、近づいてくださるイエス様に感謝します。

2.主は触れてくださるお方

そして、イエス様は彼女に単に近づかれただけでなく、実際に触れて、引き起こしてくださったのです。イエス様の力で、ペテロの義理の母は引き起こされたのでした。単に近づくことと、実際に触れることは違います。触れるときに、そのものの体温、命の力が伝わってきます。主は、私たちを助けるために働いてくださることを感謝します。

3.主は生き様を変えてくださるお方

イエス様に触れられてペテロの義理の母は熱がひき、イエス様を喜んでもてなしました。具体的な癒しの業が起こることで、単に私たちの病気の症状が消えるだけでなく、その人の生活や人生まで変えられるのです。私たちも、イエス様に触れていただくときに、病気の症状が取り去られ、更にイエス様を証しする人生へと変えられることを喜びましょう。
今回インドで孤児院の子どもたちを集めての集会をした際、子どもたちを預かって世話をしてくれている教会の先生と、少しの間お話をしました。その人は、らい病であったのに、私たちの伝道集会時に癒され、クリスチャンとなって今は牧師をされている方です。笑顔で手を差し出してくださり、握手をしたその指先は溶けていて、短くなっています。
私たちからの献品である衣服を孤児院の子どもたちに分けた後、その先生に「教会の貧しい人たちにもプレゼントしてください」と、衣服をお渡ししました。「村のみんなも喜ぶと思います!」と、にこにこ笑いながら帰っていかれました。貧しい村で、村人や子どもたちを守る牧師として喜びながら仕えているその姿を見て、イエス様と出会うことの素晴らしさを感じました。
イエス様によって癒されると、人生は変わります。同じイエス様が、私たちのためにも働いてくださいます。私たちも今日ここで、イエス様を求めて祈ってまいりましょう。

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救いを成し遂げてくださった主

・・・今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。・・・
       コリント人への手紙第二8章11節、ピリピ人への手紙2章6節~11節

皆さんのお祈りを心から感謝します。インド伝道から守られて帰国することができました。自らの主催で、伝道の働きをインドで展開しているわけですが、今回も兄弟姉妹がお捧げくださった献金を用いて「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい(マルコ16:15)」と言われたイエス様の大宣教命令、すべてのクリスチャンに与えられた信仰のチャレンジのご命令に従い、伝道の働きをすることができたことを心から感謝します。
サナガパドゥでの特別集会の初日、激しい雨のため、2時間遅れで野外集会が始まりましたが、天候は悪くなる一方で、集会場所変更か中止の決断を迫られました。これまで、どんな天候であっても野外集会が中止となることはありませんでしたので、「とにかく集会をさせてください」と祈り、建設中の教会に移動して続行しました。賛美やメッセージを語っている間に神様は「自らが行う準備、人の手配、集会にこだわり過ぎているのではないか、集会の主導権は私にある、主にゆだねなさい」と霊的に何度も語られたように感じました。「どのような条件であっても、集会の中心はイエス様、あなたにあります。すべてをゆだねます」と感謝して祈りました。
自分の願望、思いだけで終わるのではなく、私たちの信仰によってやり遂げるためのポイントを確認してまいりましょう。

1.私の思いを信仰によって形にする

今回は雨に遭遇したことにより、計画し、願っていたような姿でのインド伝道ではなかったかもしれません。でもその与えられた条件の中で、今回のインド伝道をイエス様の栄光のために、主に喜ばれるように、イエス様の福音が語られ、人々が救われ癒さるようにと、最大限のチャレンジをもってやり遂げることができたことを感謝しています。
神から与えられた夢や目標を、単なる思いや考え、願望だけで終わらせるのではなく、それを本当に実行し、やり遂げて形にするのです。
今年のテーマは「Make It Happen!さあ、信仰を働かせよう。事を成し遂げよう」でしたね。私たちが信じたことは、成し遂げられやり遂げることができるのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです(ヘブル11:1)」とあります。心から感謝して「今年も私たちはインド伝道をやり遂げることができました」と、宣言します。私たちの信仰にはイエス様が共にいてくださって、イエス様が御業を成してくださいます。主が私の祈りに応えてやり遂げてくださることを感謝します。

2.信仰のモデルはイエス様

単なる願望ではなく、事を成し遂げていく信仰のモデルはイエス様です。イエス様は信仰の土台であり、私たちの信仰生活の軸です。キリストは神の御姿の現れであるのに、神の栄光を捨てることができないとは考えないで、人間と同じ姿になり、いや、それよりも卑しいもの、奴隷の姿となってこの世に下ってきてくださいました。できないとは考えないで、本当に罪の贖いをやり遂げてくださったのです。私たちの罪を身代わりとなり背負ってくださり、救いの道を成就してくださいました。イエス様によって私たちが救われたことを感謝します。

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無名の働き人

アラムの王の将軍ナアマンは、…勇士ではあったが、らい病にかかっていた。アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに。」…アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。…                  列王記第二5章1節~14節

万代師は、インド伝道の真最中です。主は常に私たちの思いや願いにまさることをしてくださるお方です。今日は最終日ですが、回を重ねるに従って、人は増えていきますので、天候が守られ、たくさんの方が集められ、主の救いといやしが現されるよう続いてお祈りください。
今日は、アラムの将軍ナアマンがいやしの恵みをいただくきっかけとなった一人の少女の働きにスポットライトを当てて恵みをいただきましょう。少女は、イスラエルから略奪され、ナアマンの妻に奴隷として仕えていました。敵国であるアラムとその将軍のナアマンを恐れ、恨んでいたことでしょう。しかし、らい病に冒されているナアマンを見て、滅んでしまえばいいとは思わず、様々な葛藤を捨てて「サマリヤにいるエリシャのところに行かれたら、きっとらい病が治る」と証ししたのでした。今日は、神を証しすることがどれほどの祝福をもたらすかを考えてみましょう。

1.「証しの力」を信じよう

無名の少女が意を決して、らい病のナアマンに神のいやしを証ししたことによって、ナアマンはいやされ、アラムにとっても大きな恵みとなりました。「全世界に出て行き、全ての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)とイエスは言われました。神から恵みをいただいた者として、常に恵みを誰かに証しするという使命があります。あなたの小さな信仰の行為が、まわりに大きな恵みを起こします。

2.働き人として用いていただこう

カナの結婚式で宴会の途中、ぶどう酒がなくなり、イエスはしもべたちに水がめに水を満たしなさいと言われました。イエスが言われるように一生懸命に働いて水を汲んだしもべたちだけが、水がぶどう酒に変えられるという神の御業を目の当たりにしたのでした(ヨハネ2:11)。このしもべたちもナアマンに証しした少女も、無名の働き人でしたが、神を信じて大きな働きをして用いられました。

3.働き人から受ける恵み

少女の小さな証しが、ナアマンはもちろんアラムの国にも、そして少女自身にも大きな恵みをもたらしました。私たちも多くの無名の働き人によって恵みをいただいていることを忘れてはなりません。私は救われる前に、高知で昼間は働き、夜は定時制の高校に通っていました。ある日、友だちから彼の机の中に入っていたという一枚の教会のトラクトを渡されました。そこには「あなたも教会に行ってみませんか」と書かれていました。それから何カ月も自分の引き出しにしまったままでした。楽しく過ごしていましたが、このままでいいのかと人生に疑問を持つようになった時、そのトラクトにあった教会に導かれ、クリスマスに洗礼を受けたのです。だれが配ったかわからない一枚の教会の案内チラシがきっかけで、私は信仰を持ちました。そして今の私がいます。感謝しかありません。また、母が病気になった時、母に手を置いて祈ると、目の前で母がいやされました。この恵みによって、病で苦しんでいる方のために手を置いて祈らなければならないことを教えられました。私たちも受けた神の恵みを証しするならば、神の栄光が現されます。名もない私でも、働き人として用いてくださいと願おうではありませんか。

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聖霊なる神の働きの中で祈る

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。…ピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、…安息日に、…集まった女たちに話した。…神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。            使徒の働き16章9節~15節

8月の締めくくりの一週間の始まりです。主によって強められ、励まされ、元気よく歩みましょう!今週の金曜〜日曜はインドでの大集会が予定されています。このために、皆さんぜひ祈ってください! 私たちは、小さな存在ですが、偉大な神の御業のスケールで祈ることをやめてはなりません。クリスチャンの心の中には、神の御心が流れ込み、自分の小さな人生が満たされることだけでなく、全世界でイエスの御業が前進するように祈ることができるのです。
この聖書箇所は、パウロとシラスによる伝道旅行のことです。パウロにとっては第2回目の伝道旅行ですが、その中で、歴史の転換点ともなる大きな出来事が起こります。パウロは幻を見ます。それにより、聖霊の導きが分かったのです。トルコ(アジア)の地から遂に海を渡り、マケドニア、ギリシャ、(ヨーロッパ)へ、そして世界全体へとイエスの福音が広がっていく大きな転換点、パウロたちが初めて福音を携えてヨーロッパへ渡った箇所です。
癒しを祈る私たちの信仰が、どんなスケール感、どんな世界感を意識しながら祈るのかを3つの点から確認したいと思います。

1.神の偉大な御旨に従う

聖霊は確かにパウロたちを西へ西へと導き、アジアからヨーロッパへと渡るようにされたのです。これは単に彼らの伝道旅行ではなく、聖霊に導かれ、全世界を視野に入れた神の大きなご計画の中にあったのです。明後日からのインド伝道も、私たちの教会の小さな一つの伝道旅行です。しかし、主の御旨の中で大きく用いられることを疑いません。今も聖霊の働き、導きがあることをはっきりと知ってください。

2.聖霊による語りかけを受け止める

神からの幻が与えられた時、パウロはそれに従いました。神は御旨を伝えるために私たちと関わってくださるのです。主は聖霊によって語りかけてくださるのです。感謝しましょう! 兄弟姉妹、私たち一人一人、小さな者に見えても、神の語りかけを受け止める信仰があるなら、聖霊により、神の御旨の受信機と変えられるのです。ですから神の御旨を求めて祈りましょう! そうすれば、小さく弱いあなたであっても必ず神の御業を体験することができるのです。

3.神は小さな者一人一人を用いてくださる

伝道の大きな転換点でありながら、パウロがピリピの町で出会ったのは、一人の女性でした。神は偉大なご計画を持ちながらも、普通の人々との出会いを通し、魂の救いの業を成し、その人々を用いてくださるのです! これを忘れてはなりません。神は紫布の商人のルデヤを用いられました。彼女は、聖書のことはよく知りませんでしたが、天地宇宙を創られた神を礼拝する心を持っていたのです。そしてパウロと出会い、イエスの十字架と復活を聞き、イエスが救い主であることを知り、イエスを信じバプテスマを受けます。そして彼女は、信者になったばかりでしたが、自分が用いられることを願ったのでした。
神の偉大な業は、必ず一人の信仰者を用いて動き始めるのです。神は私たち一人一人にビジョンを与え、大きな御業のきっかけとして用いてくださいます。このことを知って、私たちも神に用いられるように祈ってまいりましょう。

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天が地よりも高いように

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。…主は、あなたのすべての咎を赦し、…あなたの一生を良いもので満たされる。…天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。…私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。…天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
               詩篇103篇1節~17節、イザヤ書55章6節~9節

詩篇103篇とイザヤ書55章に共通する表現があります。「天が地よりも高いように」です。天が地よりも高いように、主の恵みは大きいのです。

1.天が地よりも高いように大きい主の恵み

天が地よりも高いように、私たちよりもはるかに大きな神様がいらっしゃると知って、主をほめたたえることができる、それは、ほんとうに幸いなことです。
世にあっては患難があります。「どうして、こんなことが起きてしまったのか」、「これからどうすればよいのか」、私たちには分からない、理解できないことに直面するこがあります。天が地よりも高いように大いなる神様を知らなかったとしたら、自分の力だけでは、どうにもならないことがあります。そんなときに、ただ泣き言を言ったり、神様に文句を言ったりするのではなく、讃美するのです。私たちの道、思いよりも、はるかに高い神様の道、思いがあるのです。私たちには分からなくても、すべてを知っておられる神様には答えがあるのです。天を、神様を見上げましょう。ギリシャ語で、人間は「顔を上に向ける者」という意味です。人間を超えた上なる存在、天のように高い神様に心を向けましょう。祈りましょう。そのとき、天が地よりも高いように、私たち人間の考えをはるかに超えた神様からの答えが与えられます。全知全能の神様の恵みの大きさを知ります。そして、主を讃美しないではおられなくなります。天が地よりも高いように、あなたの恵みは、なんて大きいのでしょう、と! それが、讃美する、あがめる、ということなのです。「あがめる」とは、ギリシャ語で「大きくする」という意味です。私たち心の中で、神様が、もっともっと大きくなりますように! 天が地よりも高いように!

2.天が地よりも高いように大きな赦し

詩篇103篇とイザヤ書55章、どちらも、天が地よりも高いように大きな恵みとして語られているのは、「赦し」です。天が地よりも高いように、私に与えられている神様の赦しの恵みは、なんて大きいのでしょうと、感謝できる人は幸いです。その人は、自分の罪の大きさに気づいて、高ぶることなく、へりくだって生きられるから、幸いです。主の愛と赦しの大きさに気づけて、感謝し、讃美できるから、幸いです。赦しの恵みの大きさを知り、それが自分だけのものではなく、もっと大きく、すべての人のための赦しであると知ると、あの人も、この人も、赦されて救われるべき尊い人々に見えてきます。赦せなくて、さばき合うことは、もうありません。主が十字架で死なれたのは、この私のため、すべての人々のため、だから、みんなの赦しと救いを祈るのです。そして、赦され救われる私たちを喜んでくださる主と共に私たちも喜ぶのです。天が地よりも高いように、あなたの赦しの恵みは、なんて大きいのでしょう、と!

3.天と地がつながる恵みに生きる

天が地よりも高いように、神様は私たちよりもはるかに高く、かけ離れた御方です。しかし。罪という仕切りが取りのけられるとき、天と地がつながるように、私たちは神様とつながって生きることがゆるされるのです。天から地に雨が豊かに降り注ぐように、主の恵みが私たちに注がれて、私たちの一生は良いもので満たされるのです。人にはできない神様の奇跡の恵みで満たされるのです。ハレルヤ!

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召された人々の語ることば

しかし、あなたは、…アンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。…あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。…聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
                テモテへの手紙第二3章10節~17節

聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。(Ⅱテモテ3:15)天に召された主にある兄弟姉妹、一人一人から、愛してやまないイエス・キリストに対する信仰をしっかりと受け止め、思い起こして学ぶ者でありたいと思います。私たちに与えられている命には使命があります。私たちに与えられたその使命が何なのかを問いかけながら日々歩んでいけることは幸いなことです。与えられた命の恵みを感謝していまいりましょう。パウロは死を目前にし、死にゆく者の言葉としてこの手紙を書いたのでした。私たちも天に召された兄弟姉妹方の残してくださった信仰の姿を受け取り、信仰者として恵みにとどまり続けるための4つのポイントを確認してまいりましょう。

1.本物の絆を感謝して受け取る

パウロはいつ死刑になるかわからない状況で、自らの伝道者としての生涯に、危険を顧みず同行してくれた弟子のテモテに、どうしても伝えておかなければならなかった感謝を伝えています。本物のつながりのある者でしか伝えることのできない感謝や思い出があるのです。迫害や苦難も一緒に耐えてくれたテモテに対する心からの感謝です。信仰の先輩たちが私たちに何を伝えようとしていたのか、その肉声が届いていますか。信仰の先輩方との愛による深い絆と関わりがあったからこそ、伝えられている人生の感動を、愛を、感謝を忘れてはなりません。

2.人生の価値観を分かち合う

私たちは大切な人たちとの関わりの中で、人生の生き様や価値観というものを分かち合ってきました。信仰の先輩から人生の多くを学んだはずではありませんか。パウロは、道は少々厳しくとも、神の正義、正しさ、愛のある人生を選択するように語っています。私たちは、クリスチャンである兄弟姉妹たちから神を信じて神の前に正しく生きることを教わったのではありませんか。天に召された兄弟姉妹方の信仰の姿勢を忘れることのないようにしましょう。

3.伝えられたことを思い起こす

パウロは、聖書の教えが、あなたが人生を生きていくための神からの教えであると語っています。私たちは信仰の先輩方から具体的に伝えてられてきた教え、毎週教会に行くこと、毎日の生活の中で祈ること、聖書を読むこと、献げることなど、単なる価値観ではなく、教え、戒めとして語られていたことを受けとめ直して生きる者でありたいと思います。

4.神の恵みの中にとどまり続ける

人生を豊かに生きていくための教え、戒め、さらに人とし成長していくための霊的訓練として聖書は有益なもので、その教えの中にとどまっているようにとパウロは語っています。神を信じて生きることが現在進行形で、神の恵みの中にとどまり続けましょう。信仰の先輩が教えていた信仰、救いとは、いつも神の恵みにとどまり続け、成長し、変えられ、整えられていくことだったはずです。永遠の命につながる継続した信仰生活を自分のものとしようではありませんか。信仰の先輩たちがあなたに伝えようとしたことをしっかり受け止め、その信仰に倣って、受け継ぎ、伝えていきたいと思います。

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味方である神様と共に歩む

…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。…私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、…私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。               ローマ人への手紙8章31節~39節

クリスチャンとして、信仰を持って神を信じて生きることはすばらしいことです。世の中ではちょっとしたイライラや怒りが高じて、とんでもない犯罪につながり、悲劇が起こります。しかし、ちゃんと教会に通ってクリスチャンとして歩んでいると、たとえストレスがあってもイエスに委ねて問題を解決していただき、圧倒的な勝利者になることができるのです。
神が私たちを愛して恵みを備えてくださっているから、神に近づきさえすれば、どんなことがあってもすべては転じて益となり、祝福と恵みへ変えられていくことをぜひ体験しましょう。礼拝出席や奉仕、献金、教会行事への参加が、単なる習慣や決まり事というレベルではなく、あなたの信仰をリフレッシュしていただいて、神のいやしと喜びを取り戻し、本当のクリスチャンの信仰に目覚めてほしいと願っています。
ぜひ、今日の礼拝の中で、基本のあるべき姿にもう一度立ち帰りたいと思います。31節にあるように「神が私たちの味方である」ことを思い起こしてください。もし最近、あなたの信仰生活に疑問や不安を覚えているなら、いつも共におられるイエスに目を向けることを忘れているのです。イエスがいつも支え、励まし、どんな時も私たちから離れず、導いてくださる味方であるという真理に立ち帰ってほしいと思います。私たちの味方である神が与えてくださっている大きな3つの恵みを確認しましょう。

1.御子イエスの命が与えられている

神は私たちを愛して、御子イエスの命さえ惜しまず、私たちの罪をあがなうために十字架に架けられました。御子イエスを信じるならば、罪きよめられ、あなたの人生を幸せへと導いてくださいます。イエスの命までくださった神が、私たちが祈るなら、出し惜しみすることは絶対にありません。病をいやし、長寿を与え、家族の平和や複雑な人間関係や仕事の問題も解決してくださいます。

2.勝利が与えられている

世の中に偽物の愛がはびこっているということはすなわち、とてつもない価値ある本物が存在するということです。それは、私たちの罪の身代わりとなって死なれたイエスの愛であり、その愛は本物で力があります。夫婦や親子のかけがえのない愛もありますが、キリストの愛は必ず私たちを恵みへと、勝利へと導きます。「世に勝つ者はだれか。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(Ⅰヨハネ5:5)どのような状況に置かれようとも圧倒的な勝利者となることができます。それは、あなたを愛してくださった神の御子イエスが共におられるからです。

3.神との絆が与えられている

命さえ脅かす様々な困難があった2000年前でさえ、パウロは告白しています。どんなものも神の愛から私たちを引き離すものはない。あなたが、味方である神を信じた時に、何があろうと切れない神との絆が与えられています。神の愛に終わりはありません。私たちはずっと神の子どもであり、神の家族の一員です。その平安の中にいることを感謝しましょう。
神の愛は変わりません。今日の聖餐式で、イエスがあなたを愛して十字架に架かられた恵みをいただいて、夏の日々が喜びに満たされ、2019年の歩みが躍動感に溢れるものになりますように。

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信仰により良い実を結ぼう

悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。  ルカの福音書6章43節~45節

この夏、私たちが本当に幸せな歩みをするために 今日の礼拝の中で、「主よ、私が悪い物を引き寄せないよう私を整えてください、私が本当に良い恵みを生み出す者となれますように」と祈り、イエスにきよめて頂きましょう。
兄弟姉妹、私たちが気をつけたいのは、自分の人生に「悪い実」、良くない結果や悪い人間関係、不幸な物語ばかりが、もし沢山起こっているなら、人を責める前に、自分の人生の生き方や心、魂の状態を正しく見つめて、整え直す必要があります。日本にも「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。そういうことを念頭に置いて、今日の聖書箇所から4つのことを確認したいと思います。

1.神の鏡に自分を映し出す

よい木でありたいと思いながら、悪い実ばかりがなっているなら、木そのものを疑ってみなくてはなりません。自分の生み出している「実」、私たちの周囲に生み出されている様々な結果がどのようなものであるか、また、どんな人と自然と関係を持っているのか、何を引き寄せているのか、今、神の鏡に自分を映し出して自分の人生の有り様を確認しましょう。自分のことはよく分からないものです。ですから自分が、どんな「実」を実らせているか、どんな人を引き寄せて「人間関係」ができているかについて、注意深く見ることが大切です。

2.良い物を選ぶ

あなたの人生の中に祝福を求めるのであれば、「主よ、私が頂く命は、本当に豊かに実を結ぶぶどうで在らせてください。大きな祝福、大きな恵みを生み出すために、私そのものが命に溢れた、良い木になることができますように!」とあなたが、はっきりと求めている物を祈り願うことです。決っして悪い物を選ぶことのないように、祈り吟味して良い物を選んでいきましょう。神の求められる「愛の実」「励ましの実」「分け与える実」「希望の実」、そのような良き物を生み出す「良い木」になることができますように、そういう「命」を選び取りたいです!と神の前に祈ってまいりましょう。

3.生活を整える

私たちの「心の倉」から「良い物」を取り出す生き方を心掛けましょう。特に私たちの持っている「実」が顕著に現れるのは、私たちの「口の言葉」です。私たちの「口の言葉」を通して人を励まし、愛し、喜びを伝え、安心させる、そんな「恵みの言葉」を語ろうではありませんか!

4.良い習慣を人生にする

「良い物」を取り出し、「良い実」を結ぶ命の流れ、習慣が、私たちの人生となりますように。習慣化され継続することができるように生き方を整えていきたいと思います。自分がどんな種類のどんな質の「命」を持っているかを、問い直す者でありたいと思います。私たちは神の御力によって取り扱いを受けなければならない弱い存在ではあります。けれど信仰を持って歩ませて頂く中で、私たちはクリスチャンとしての決断も意識してまいりましょう。神の御心に適う良い物を意識して選び取ってまいりましょう!

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人生の病い・痛みと向き合ってくださる主

エリシャが家に着くと、なんと、その子は死んで、寝台の上に横たわっていた。エリシャは中にはいり、…主に祈った。それから、寝台の上に上がり、…子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきた。それから彼は降りて、部屋の中をあちら、こちらと歩き回り、また、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開いた。…彼女ははいって来て、彼の足もとにひれ伏し、地に伏しておじぎをした。そして、子どもを抱き上げて出て行った。
                    列王記第二4章32節~37節

最近京都で起こった放火のニュースに、心を痛めています。人への恨みから火をつけて、34名の方が犠牲になるって、あまりにも理不尽です。でも今の時代、ストレスや行き詰まりの中で自分の気持ちだけで頑張ろうとしても、自分を助けることはできません。私たちは神によって命を与えられていますから、神と共に歩むときに守られ祝福されるのです。
今日は、癒しの礼拝です。聖書は、神は今も生きて働かれる神であることを教えています。この教えを受け止め、癒しの恵みをいただきましょう。

1.人生と向き合ってくださる神がいる

預言者エリシャが癒やしを求めて祈ったとき、神は、この子どもを癒やしてくださいました。この子どもとエリシャの関係は、4章の8節から始まります。世話になった女に何かしたいと思ったエリシャが、女に男の子が与えられると宣言します。1年後、本当に男の子が生まれ、めでたしめでたし。しかし、成長した男の子はいきなり死んでしまいます。私たちが受け止めなければならないのは、人生は、良いことばかりではなく、時には思わぬ災難がふりかかることもあるということです。それが、人生の現実です。しかし、いろいろなことが起こる人生の中で、私の人生と向き合ってくださる神がいることを感謝しましょう。

2.否定的感情に気を付ける

エリシャの取り計らいによって与えられた我が子が、いきなり病によって失われる悲劇から、女は思わずこう言います。「いったい誰が、子どもが欲しいと言ったのですか。苦しめるために子どもを与えたのですか」と。彼女は、与えられた恵みを忘れて神に対する攻撃を口にしたのでした。私たちは苦しい現実の中で、思わず否定的な言葉を口にしたり、人を攻撃したりしないよう、気を付けましょう。

3.祈っている神の家族がいる

それでも、神の人エリシャは女を突き放すのではなく、すぐに子どものために特別な祈りを始めました。私たちも、困難の中で弱音を吐いたり、偉そうに神に文句を口走ったりしてしまうことがあります。そんな中でも、神は決してあなたを見捨てず、あなたのために祈ってくれる誰かが存在します。神を信じる者は、あなたのために必ず祈りますし、主の教会はここに確かに存在しています。私たちは、常に教会において祈りに囲まれていることを感謝します。

4.神の方法で現される恵み

ありとあらゆる方法でエリシャが祈ると、男の子は7回くしゃみをします。この7という数字は、完全数と呼ばれる、神の事が起こる時の神の数字、神のタイミングです。そう、神の力によって、この子は息を吹き返しました。神は今も働き、人間の方法論を超えて、神ご自身の方法で、神の時に最善のことをなしてくださることを、感謝して受け止めようではありませんか。私たちが100点満点の清さだから、神が祈りに答えられるのではありません。自分でも情けなくなるような愚かな人生に、神は向き合ってくださいます。単に自分の祈りの力によってではなく、主に祈ったときに、主がご自分の御業で、神の霊により祈りに応えてくださいます。このことを感謝して、主に祈り求めてまいりましょう。

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